光源氏は、父帝の妃である藤壺と密通して子をなし、その子は桐壺帝の皇子(偽りの皇子)として、今や東宮である。それは、天をも人をも欺く罪であるに違いない。それにもかかわらず、光源氏が「犯せる罪のそれとなければ」と言い、供人たちが「罪なくて罪に問われ」と言った。これらが神々の逆鱗げきりんに触れ、神々は、怒りの神意を示された。紫式部は、そう書いた。

(1)罪なくて罪に当たり、官位つかさくらゐをとられ、家を離れ、境を去りて、明け暮れやすき空なく嘆きたまふに、かく悲しき目をさへ見、命尽きなんとするは、さきの世の報いか、この世の犯しかと、神仏明らかにましまさば、このうれへやすめたまへ

競争心・嫉妬心

宮中は、女御らをはじめとする女性たちの競争心、嫉妬心の渦巻く世界である。

六条御息所は、前の東宮妃であり、美貌と教養とを備えた人であったが、「うぬぼれ」の心と世間の目を気にする「見え」の心が強く、自らの心ゆえに悩み苦しんだ人であった。御息所は、亡くなった後、ものとなって光源氏の前に姿を現し、娘である秋好中宮に次のように伝えてほしいと、光源氏に頼む。「宮仕えをしている間、決してほかの人と競ったり、ねたんだりするような気を起こしてはなりません(1)」と。

高級貴族の多くは、自分の娘を宮中に入内させることを夢見る。しかし、入内の夢がかなった後に姫君たちを待ち受けているのは、女性たちやその親たちの競争心、嫉妬心の渦である。

その典型的な例が、桐壺更衣である。桐壺帝の寵愛を一身に受けたがゆえに、女御、更衣たちから激しくいじめられた。桐壺更衣が帝のところへ参上することが度重なる折々には、通路に「あやしきわざ」をするので、送り迎えの人々の着物の裾が耐えがたいほどの有様になる。どうやら、通路に汚物をまき散らしたらしい。女御や更衣たちだけでなく、これらの人々に仕えている女房たちも、それなりの家柄の貴族の姫君たちであるが、その人々が、あろうことか、宮中で汚物をまき散らすとは、驚きである。

また、通路のこちら側とあちら側とで示し合わせて、両端の戸を閉ざしてしまって、更衣を立往生させる。こういうことが重なって、更衣は、病を得て、ついに亡くなった。更衣の母君が帝に、「よこさまなるやうにて」(横死同然で)亡くなったと申し上げるほどの、惨めな死に方であった。女性たちとその親たちの競争心、嫉妬心は、実に恐ろしい。

(1)ゆめ御宮仕みやづかえのほどに、人ときしろひそねむ心つかひたまふな