第1章 集いし者たち

「見よ。北には神々の山々がそびえ立つ。南には命を育む大海がある。東に恵みの大河があり、西に母なる大地がある。この全ては、我々がご先祖様から営々と受け継いできた。それが今、白い肌と碧い瞳を持つ、外から来た者たちに奪われつつある。彼らとは幾つもの約束を交わした。ところがそれが守られたことは一度としてない。時はきた。座して死を待つか。弓と槍とトマホークを手にし、共に戦うか」

大渓谷には、万を超す賛同の大歓声と拍手、そして地を鳴らす足踏みだけが聞こえた。

「私は常に諸氏と共にあり、艱難辛苦(かんなんしんく)を共にし、先頭に立って戦うことを、太陽の神に誓う。共に立とう」

それは、日本では大坂冬の陣が始まり、豊臣家崩壊の幕が開けた時代に重なる、1620年のことであった。イギリス国教会と激しく対立した結果、厳しい弾圧を受けた清教徒の一部の人々は、弾圧から逃れるために母国から船出した。

そして万里の波頭を越えた大西洋の彼方、北米大陸にたどり着いた。この一団はピルグリム・ファーザーズと呼ばれ、自分たちがたどり着いた地を、プリマスと名づけた。辺り一帯を故国にちなんで、マサチューセッツと呼んだ。

彼らは当初、厳しい冬と慣れない湿度に悩まされ、半数が病死した。その苦境を救ったのが、先住民であり、後にインディアンと呼ばれる人々である。

インディアンは、飢えと寒さに苦しむ白人入植者たちに、トウモロコシの栽培や、狩猟を教えた。それから3年、白人とインディアンは、互いを認め合い、尊重し合い、食糧を持ち寄り、盛大な祝祭を開いた。

これが今でもアメリカの祝日である、サンクスギビング・デー、いわゆる感謝祭の始まりである。

ところが、共存共栄はここまでであった。白人たちのしたこと、それは、インディアンと交わした約束の全てを破ることであり、絶え間ない略奪と殺戮と収奪であった。

それは悪質極まりなく、ある白人は、「銃弾は大地に埋めると生えてきて、勝手に増えるのだ」と嘘八百を言い、インディアンを騙した。莫大な土地との引き換えの品は、たった一発の弾であった。それまでのインディアンには、土地という概念がなかった。

大地は皆で共有するものであり、授かったものであるため、個人で所有するなどとは、神をも畏(おそ)れぬ行為であった。それにつけ込んだ白人たちは、怪しげな契約書を拵(こしら)え、口八丁手八丁でインディアンにサインをさせ、数個のガラス玉と引き換えに、広大な土地を獲得していった。

サンクスギビング・デーが初めて開かれた1621年12月25日、場所は異なれども同時刻、三人の赤子が誕生した。

シャイアン族の族長の娘、「太陽を背負う女」という綽名(あだな)を持つ、ツー・サンズ。

アラパホ族の孤児であり、「物を集める少女」という綽名を持つ、ビッグ・コレクター。

コマンチ族の戦士の息子、「荒れ狂う狼」という綽名を持つ、レイジング・ウルフ。

彼らが出会うまでには、まだしばらく時間が必要だ。だが、彼らが集結し、団結し、成長した時、アメリカ史、いや、世界史そのものが大きく変わってしまうことになるとは、この時、誰が予想できただろうか。