ものづくりでつくるもの
「ものづくり」は日本の強みなのだと言われています。
主要な産業における強みである「ものづくり」とはどこにあるのでしょうか。
戦後しばらくの日本製品は「安かろう、悪かろう」と言われていました。安く高品質な日本製品という日本の「ものづくり」ブランドは、その後の高度成長の過程で築き上げられた、たかだか50年程度の歴史しかない「伝統」です。
にも関わらず「ものづくり」というキーワードが、何か神聖な日本特有の伝統的な価値であるかのように取り上げられていることには強い違和感があります。
木工や漆工、染物など、京都や金沢に息づく伝統工芸品が「ものづくり」文化の事例として挙げられていることを目にすることもありますが、これらを「日本」全体のこととして語るのは少し図々しいと感じます。
「ものづくり」への過剰な執着は、グローバルな「仕組みづくり」で欧米の後塵を拝し続けていることへの負け惜しみのようでもあります。
すでに多くの人が実感されていると思いますが、電気製品の「ものづくり」では中国や台湾には敵わなくなりました。だいぶ以前に、家内がiPhone4を落として画面のガラスを破損してしまい、部品を入手して自分でガラス交換に挑戦したことがあります。
iPhoneシリーズは、4に限らず、側面に2か所小さなビスがあるだけで、日本製品のように背面に無造作にビスがあるようなデザインではありません。
分解して驚いたのは、単なるステンレスのプレートと思われた側面のフレームが、複雑に3次元に成形されており、内部の20本ほどのビスが全て違う太さと長さだったことです。さまざまな電気製品を分解したことがあるのですが、日本製品では見たことがない、異次元の「ものづくり」がありました。
今日の世界のスマートフォンのデザインの原型を作ったのが、iPhoneでなかったとしたら、スマートフォンのデザインは今よりはるかにチープなものになっていたことでしょう。日本の「ものづくり」を否定はしませんが、その伝統の中身については再考が必要です。
建設業においても「ものづくり」はたびたび議論されるテーマの1つです。伊豆の松崎町に江戸時代の左官で漆喰鏝絵(しっくいこてえ)の名人であった入江長八の左官作品を収めた「伊豆の長八美術館」という美術館があります。建設業における「ものづくり」のすばらしさを見ることができますが、今日の建設業が目指す「ものづくり」とは違うでしょう。
小学生の時に、「法隆寺を建てたのは誰でしょう?」というナゾナゾがありました。
「聖徳太子!」
「はずれー、大工さんでした」
という他愛もないものですが、元請けの建設会社の方と話していて似たような状況に出会ったことがあります。
「わが社のものづくり強化に向けた技術開発は……」
「元請けの仕事はマネジメントで、作るのは職人さんでは?」
「……」