「アジア」って何だろう

北朝鮮を巡る緊張、日中韓関係など、この数年「東アジア」関連のニュースは、常に何らかの形で取り上げられています。しかし私には、そもそも「東アジア」という括りに対して、微妙な違和感があります。

もともと、「アジア」という括りは「アジア人」が生み出したものではありません。ざっくり言えば、「アジア」とは古代ギリシャ、ローマ人が、自分たち以外の東の方の領域という意味で使っていた概念です。

まず、「東のほうの自分たちのテリトリーの外」であるアナトリア(現在のトルコのあたり)が「アジア」と呼ばれ、その後、背後に更に大きな領域が広がっていることが知られるとアナトリアは「小アジア」に格下げされました。アジアとはどこまで行ってもヨーロッパから見た「俺ら以外」という括りだったのです。そんな一括りを束ねる内発的なアイデンティティなどそもそも存在しようがないのです。

さて、そうは言っても「東南アジア」という言い方はしっくりきます。ASEAN(東南アジア諸国連合)の存在感のせいでしょうか。タイ、フィリピン、マレーシアなどの10カ国と領域も明快で、統治制度も経済水準も宗教も大きく異なりながら、地域開発における利害関係と、仏教中華文明プラス河川、海洋文明のつながり感の上下関係のない共有により、ゆるやかなアイデンティティの構築に成功しているようです。

「東アジア」の括りには日本、中国、韓国、北朝鮮が含まれ、何となく台湾は微妙な感じです。

そして、地理的隣接関係でいえばモンゴルは入らないのかな、中国は「東」から大部分がはみ出しているななど、いろいろ疑問もあります。しかし、1つ言えるのは戦前の日本の統治に関係している地域だということです。

東アジアにおける近代の最大の歴史的トピックスの1つが「満州国建国」です。

しかし、地域へのインパクトの大きさに比べると、歴史の話題に上る機会が少な過ぎるのではないでしょうか。中国は、近世に至るまで常に東アジアの文物交流のハブとなってきましたが、その中国の歴代王朝の趨勢は、いつも現在の黒龍江省、吉林省、遼寧省などの東北地方(満州国のあった地方)に左右されてきました。北東の方角を鬼門と呼び、戦国期から秦、漢の時代まで長城を築いて防護を固めてきたのもそのためです。そして、日本もそこに「満州国」を通して一枚かんでいます。

中国の東北地方は今日、都市やインフラ、高速鉄道の整備により大きく発展しましたが、その骨格の多くは満州国(ちなみに現在の中国では独立を認めない立場から偽満州国と表記します)時代に負っています。日本は、膨大な国富をここに投入し、権威者の重しを逃れた多くの若い技術者や開拓団が移住しました。

そして移住した彼らは、建築・土木の長く巨大なサプライチェーン(鉄骨やコンクリートなどの原材料の調達、製品への加工や部品の製造、資機材の運搬流通などのつながりによる、生産システム全体)を数年で構築しました。