さて、法隆寺建立を発意したのが聖徳太子かどうかは別にして、法隆寺を建てた職人さんとしての「大工さん」は、今のような技術集団とは違っていました。法隆寺は、力強さとおおらかさを備えた世界遺産にふさわしい佇まいを備えていますが、基本となる平面計画は、単純な整数倍のグリッドの基準線にもとづくシンプルなものであることがわかっています。
しかし、柱の位置と基準線の関係に、中心、内側、外側とバリエーションを付けることで、単調になることを防ぎ力強い造形を実現しているのです。また、同じデザインが繰り返されているように見える部分でも同じ形の部材は1つもないという構造体など、高度な技術が駆使されているとも言われています。
ところで、法隆寺建立時に動員された「大工さん」(大工という職能は、平安時代に大工寮という朝廷の官職が設けられたことに由来するため、正確には大工さんではありません。また、職人として専門分化した職能であったとも言えないので、ここでは仮に「大工さん」と呼んでおきます)の木材加工技術は、竪穴式住居とほぼ同等だったと言います。誤解を恐れずに言えば、法隆寺は自分だけでは竪穴式住居しか作れない人々を動員し、組織したマネジメントによって実現しているのです。
法隆寺を「建てた」ものづくりの中心になった人は誰でしょう。
今日の企業マネジメントでは、企業内で分担された役割を横断し、コントロールする価値創造の中心的役割をセンター・オブ・エクセレンス(Center of the Excellence)と呼びますが、7世紀の日本で、法隆寺を建立するための計画立案、材料の調達、加工、工具の制作、木工、瓦生産などの役割の中心を担ったセンター・オブ・エクセレンスこそが法隆寺の「ものづくり」の中心です。
法隆寺建立というプロジェクトのセンター・オブ・エクセレンスは、職人的なものづくりの技術もさることながら、仕組みを作るマネジメントの技術にあったと考えます。
限られた技能しかない作業員、限られた物量しかない生産環境をいかに組織化し、大きなゴールを実現してゆくのか、日本の「ものづくり」は仕組みづくりから出発するべきであることを、法隆寺は教えてくれます。