もう一匹の家族

家を新築して引っ越してきたときに1匹の子犬がおじいちゃん宅からやってきました。「太郎」と名付け、その後は我が一家と14年の歴史を共有しました。

晩年は犬も人間も「老い」を実感しました。歯は歯槽膿漏、目は白内障で見えづらそうで、そのうえアレルギー性鼻炎でいつも鼻水が垂れていました。若い頃はカミナリが鳴れば怖がって狂ったように庭を駆け回っていましたが、10才を過ぎた頃から耳が遠くなってきてカミナリ音にも馬耳東風。

老犬は暑い夏場はクーラーの効いた部屋で家族が出かけてもお留守番、陽気の良い日は庭先で鼻水たらして居眠りばかり、声をかけても聞こえない。冬は湯たんぽをもらって暖をとり、猫ではないが丸くなる。散歩に連れていってもオシッコはオスなのにしゃがむようになり、外に出てもすぐにUターンし、玄関先の数段の階段を上るのもひと苦労でした。

最後は紙おむつをしてもらい、中型犬も寝込むと重く老犬介護が大変でした。もう、二度と犬を飼うことはやめようと思いました。

老犬が亡くなってからミニうさぎの「ゆう」ちゃんがひょんなことからお輿入れしました。岐阜で学生生活をしていた息子と娘が住んでいるマンションにいましたが、夏休みで面倒をみる人がいないので我が家にやってきました。

マンションのベランダよりはるかに広い庭が気に入ってそのまま居つきました。ノビノビと自由に跳びはねて、気に入った草花を見つけてはムシャムシャ、あるときは猫やイタチに追っかけられ家中大騒動でした。

仕草を見ているとかわいくて抱きたくなりますがなかなかなつきません。いつも捕まえるのにひと苦労し、脱兎のごとくの意味がよくわかりました。ようやくビスケットを餌にしてなつかせました。どんなに遅くなって帰っても、門扉の横からお出迎え、ようやくなついてきたなと思ったら、ある日なんの前ぶれもなく突然に亡くなりました。

小動物は寿命が短いのでなついた頃には遅いのかもわかりません。夏場に1度も庭の芝刈りをしなくてよかったのが印象的でした。

きっと広い庭の芝生の新芽を1羽で食べつくしたのです。

犬や猫の小動物はかわいいです。ちょっと前から子育てを終えた中高年齢者が寂しくてペットを飼うことが増えました。いまは「ペットの家族化」現象が進み、ペット産業が繁盛しています。

街中でペット向けの食べ物や身の回り品などを豊富に品揃えしたペットショップをよく見かけます。ペット用の紙おむつなどは人間並みに多数の種類の商品が陳列され、キャットフードは飼い主が試食してから購入する時代です。このようなペット向け市場の拡大傾向も、世の中の一つの変化の現れです。

公共広告でもいわれていますが「ペット」の面倒を見るのは人間です。そのため人が放棄すれば「ペット」は行き場がなくなります。飼育する人はその事実を忘れないことです。