ホイアンのハリモト
名古屋の情妙寺に保存されている『茶屋新六交趾国貿易渡海図』は、尾張茶屋家の二代目茶屋新六郎が、十七世紀前半、朱印船に乗ってインドシナ半島を訪れた際に描かれた絵図であるが、『朱印船時代の日本人』(中公新書)を著した小倉貞男氏によると、その絵図は当時のベトナムのホイアンの日本人町の様子を映しだしているとしている。
その絵図の中には、日本人町と言われる二階家の建築が、浜の隣に軒を連ねている様子が見える他、裃を付けた茶屋新六郎が国王に謁見している図や、ベトナム中部地域の信仰の霊山と言われる「五行山」と思われる山等が生き生きと描き出されている。
縁あって、インドシナ地域と付き合うようになってから、インドシナ地域に関する古書を神田の古本屋で漁ったり、関係図書館に保存されている昭和十年代後期に出版されたインドシナ地域に関する書籍のコピーに精を出した時代があった。
そのコピーの一部は、人に貸したり、整理の悪さも手伝ってか方々に散らばってしまっている。何故かそのコピーの中にあった『茶屋新六交趾国貿易渡海図』については、不思議なことに鮮明に覚えていた。
日本が鎖国時代に入る以前に、アユタヤを初めルソン、カンボジア等の東南アジア各地に日本人町が存在していたが、いずれも徳川幕府の鎖国政策により、歴史の流れの中に姿を消してしまっている。『茶屋新六交趾国貿易渡海図』に心惹かれるのは、ホイアンの日本人町の実際の様子を我々に具体的に明示してくれていると共に、絵には描かれていない部分について、我々の想像力を更にかきたててくれるからであろう。