百合は母のいる台所に行った。母は流しに向かってじっとしていた。肩が震えている。百合はそっと近付いて、その背中に抱きついた。
「母上、私は今日兄上が父上を迎えに来たあと、体が震えてうまく歩けませんでした。足が重くて息が切れました。元気な私ですら、そうなるのですから、心の臓の弱い母上は、もっとお辛いはずです。姉上がご病気になっただけでも悲しいのに、もし母上に何かあったら、百合は生きていけません。ですから今日から百合は母上を手伝って、家のことをやります。母上はゆっくり休んで下さい」
「百合、ありがとう。でもあなたは唯ノ介になったばかりで、これから学問も剣も身に付けてゆく大事な時です。せっかくの機会なのですから、無駄にしてはいけませんよ」
「学問も剣もいつもやっているわけではありません。暇な時間は母上のお手伝いをします」
「百合はそれが嫌で、男の子になりたかったのではないのですか」
深雪は漸く僅かにほほ笑んだ。この子には本当に驚かされる。僅かの間になんと大人になったことか。
「ちゃんと剣や学問も頑張ります。ですから、母上は決して病気にならないで下さい。お願いです」
「分かりました。では母を手伝って下さいね。頼みにしていますよ。でも出来る範囲でちゃんと学問も剣もなさい。それが母の望みでもあるのですから」
「はい」
「それにね。心に辛いことがある時は、じっと休んでばかりいるより、体を動かしている方が、気持ちが安まることもあるのですよ」
深雪は百合を優しく抱きしめて、そっと涙をぬぐった。そして、この子のためにも私がしっかりせねばと、心を新たにしたのだった。