五 ほととぎす
二人が道のりの半ばまで来た時、向こうから早馬が駆けてくるのが見えた。どんどんこちらへ近付いて来る。なんと乗っているのは兄の聡太朗であった。どうどうと馬を止め、聡太朗はひらりと馬から降りた。
「どうした、急病人か」
父はもう馬の手綱を受け取りながら急いで訊ねる。
「姉上が喀血して倒れました。早くお帰り下さい」
「今誰が見ている」
「代脈の加藤先生が見て下さっています。でも、早く父上を呼んできてくれとおっしゃって……」
「分かった。百合、いや唯ノ介を頼む」
それだけ言い残すと、聡順はひらりと馬にまたがり、あっという間に走り去って行った。聡太朗が百合を振り向くと、百合は道端にじっとたたずんでいた。真っ青になって、フルフルと震えている。
「兄上、姉上の病は重いのですか」
「うむ、喀血したのだから、軽い風邪などではまずないだろう。だが、私はすぐに父上を迎えに来てしまったので、詳しいことは分からぬ。とにかく急いで帰ろう」
そう言うと聡太朗は本当に凄い勢いで歩き出した。百合は小走りにならなくては付いていけない。日頃から、歩いているより走っている方が多いような子であったから、普段なら何ということもないのに、今は足が震えて心もとなく、なんだか息が切れた。
あのようにおきれいで優しい姉上なのに、こんなことがあってよいものだろうか。ついこの間も、百合のために父へ進言してくれた姉であった。涙が出そうになるのを堪えて、百合はひたすら家への道を急いだ。
※本記事は、2021年2月刊行の書籍『遥かなる花』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
小幡百合 小幡家の末娘。明るくて元気で知りたがり屋。物凄いお転婆。
小幡聡順 百合の父。富山藩の藩医。医学・本草学に造詣が深く、藩主も頼りにするほど。
小幡深雪 百合の母。聡順の妻。
小幡綾菜 百合の姉。体が弱いが美しく優しい。百合のよき理解者。
小幡聡太朗 百合の兄。小幡家の跡取り。
藤堂健之助 聡順の親友。剣道場徳明館の主。
藤堂健一郎 健之助の長男。綾菜の許嫁。
藤堂健吾 健之助の次男。聡太朗の親友。
藤堂静江 健之助の妻。
権爺 もと杣人足の頭。今は小幡家で薬園の世話をしている。
志乃 権爺の孫。
木村智則 小幡聡順の従兄。八尾で開業している医師。
木村智直 木村家の長男。小幡家で内弟子として研鑽に励んでいる。
佐々木高悦 小幡深雪の兄。加賀藩の御殿医。
佐々木高琳 高悦の長男。
井上陽堂 小幡家の内弟子。聡順の代脈を務める。
小池新之丞 藩の組頭小池新左衛門の長男。若い連中の集まりの首謀者。剣の使い手。
田口康成 新之丞の従弟。父は小池新左衛門の弟田口新之輔。
橘主膳 勘定方の河川改修の部署に務める。
橘膳次 橘主膳の次男。新之丞の仲間。
三宅慶三郎 藩の目付三宅慶衛門の三男。新之丞の仲間。
佐藤栄二郎 藩の奉行佐藤栄蔵の次男。新之丞の仲間。
うめ 小幡家の女中。
佐枝 小幡家の女中。
とよ 小幡家の女中。
良吉 小幡家の下男。
左平 立山堂の板橋支店の支配人。