表現
何かを他者に伝える意図を持って行うことは、広い意味ですべて表現と言ってよいだろう。人は、社会の中で多寡の差はあれ何らかの役割を持って(演じて)いて、直接に間接に、他者と関係している。関係するということは、そこに表現と受け止め(承認・不承認と快・不快が伴う)が発生している。自分で自分の表現を受け止めるということもある。
表現は、例えば、言語表現(話す。文字で書く)と、非言語表現(ダンスをする。絵を描く。演奏する。その他諸々)に分類できる。実際には、いろいろな表現が組み合わせられる。
仕事で、あれこれ思案して提案書を書き、プレゼンを練習し、お客様に提案する。というのももちろん表現。どんな表現でも、そこに受け止めがあるので、承認されれば嬉しい。わかりやすくてポイントを突いた提案書だね、いろいろ気付かされることがあった、提案ありがとう、とか。表現を共に楽しむのが人生、という言い方もできる。
今回は、過去の記事で考察した内容をもとに、カミュ『異邦人』を取り上げて解説する。
『異邦人』 カミュ(窪田啓作訳 新潮文庫)
記述は、主人公ムルソーが一人称(私)で語るスタイル。よって、ムルソーが何を意識しているかは、明確にわかる。ではあらすじ。
主人公ムルソーは、アルジェにある商社で働いている。郊外にある養老院から母の死亡の連絡が入り、葬儀に行く。棺を開けて顔を見ることもなく、涙も流さない。葬儀の翌日、海水浴場で元同僚のマリイに出会い、喜劇映画を観に行き、一夜を共にする。
同じアパートに住む男レエモンの、情婦の兄を含むアラビア人とのトラブルに巻き込まれる。マリイから結婚を求められ、君が望むならと承諾する。レエモンの仲間の別荘にマリイも連れて遊びに行くが、出くわしたアラビア人をレエモンから借りていたピストルで殺してしまう。