逮捕され裁判になるが、アラビア人を殺した動機を聞かれ「太陽のせいだ」と答える。判決は斬首刑。面会を拒絶したにもかかわらず、司祭が独房を訪れ話をしようとするのに腹を立て、心の底をぶちまける。司祭が出て行った後、はじめて、世界の優しい無関心に心を開き、幸福であることを悟る。
主人公は殺人犯、裁判あり、内面の吐露ありの内容なので、殺人犯への刑罰の捉え直しを検討した時の論点をそのまま使って考察する。
まず、殺人犯に求められる課題1(殺された人の家族や周囲の人々の、怒りや悲しみとの関連で、犯人に何らかの罰を科し、かつ犯人が何らかの自発的な反省行動を取ること)。
残された人々(殺された人の家族や周囲の人々)の気持ちの整理だが、裁判の場面で、残された人々は出て来ない、全く言及無し。これは他人の死に関するムルソーの無関心に依るのか、殺されたアラビア人に近しい人がいないか、いても裁判に出ることを希望しなかったか、あるいは、アラビア人は裁判に参加しないという社会だったのかは、記載が無いのでわからない。
アラビア人を殺したことについてムルソーが意識するのは、真実何かを悔いるということがかつてなかったということのみ。
裁判では、犯行意思・動機について、ムルソーは、殺人の意図はなく、ピストルは偶然持っていた、犯行の動機は太陽のせいだ、と自分の滑稽さを承知しつつ言う(と廷内に笑い声が上がる)。
一方、検事は、ムルソーがレエモンにピストルを要求し、それを役立てるためにひとりで出掛け、計画通りにアラビア人を撃ち倒し、うまく仕事が片付いたことを確信するために、なお四発の弾丸を、落ち着き払って確実に、撃ち込んだことから、情状酌量の余地のある、衝動的な行為では無いとし、さらに、悔恨の情の影もなく、不感無覚と心の空洞が見出され、本質的な掟を無視するがゆえに、社会に対して何のなすところもない、非人間的なもの以外、何一つ読みとれない一人の男を前にして恐怖を感じるとして、死刑を要求する。
ムルソーが裁判について感じるのは、犯罪よりもムルソー自身(の魂)について語られたこと、自分の参加なしに自分をゼロと化しすべてが運んで行ったこと、よく考えて見ると、言うべきことは何もなかったということ。
ここでは、課題1の整理に本質的な、犯人(ムルソー)の言葉は、無視され、検事はムルソーの内面を推測し故意による犯行だと断定している。
次に課題2(犯人が再度殺人を起こす可能性がある危険な人の場合、隔離したり治療したりして再犯を防止すること)についてはどうだろう。