アドラーの生涯
アドラー心理学の基本的な考え方と中心的な概念の理解を深めるために、アドラーの生涯をたどりながら、どのような背景(経験や環境など)でアドラー心理学が誕生したのか見てみましょう。
アドラーは、1870年(明治3年)2月7日にオーストリアのウィーン郊外のルドルフスハイムで、ユダヤ人の父レオポルド(穀物商人)と母パウリーネの間に七人兄弟の第二子として生まれました(六人兄弟の二番目、八人兄弟の三番目という説もあります)。裕福な家庭だったと言われています。
四歳になる寸前に、三つ歳下の弟ルドルフと一緒のベッドに寝かされて、目が覚めると、隣で弟がジフテリアで亡くなっていました。まさしく壮絶な経験をしています。また、弟が死んだときに、母親が笑ったことを見て、アドラーは、母親を冷酷な人だと嫌っていましたが、後に誤解であったことに気づいています。
一方、父親は、子供たちの自由を尊重する人でしたので、アドラーが誰とでも対等に接していたのは、父親の影響が大きかったと言われています。
アドラーは、1879年に中等学校に入学しますが数学が苦手でした。悔しくて一生懸命努力して、それを克服したと言われています。
アドラー自身も幼少時に、くる病(骨が曲がったりする病気)を患ったせいで病弱体質でした。五歳の頃には肺炎で生死をさまよう経験をしたことから、医者を目指すことを決意します。1895年(二十五歳)にウィーン大学で医学博士の学位(眼科学専攻)を取得しています。
医師としては、眼科医、内科医、精神科医と転身しており、1898年にウィーンのレオポルドシュタット地区に内科病院を開業しています。病院の近くにあった遊園地のサーカス小屋にいた曲芸師や道化師と触れ合う機会に恵まれます。そこで、彼らの身体能力の陰には、幼少時に何らかの身体的なハンディキャップを持っていたことを知ります。