アドラー心理学誕生の経緯

アドラーは、伝記に自分の心理学の始まりを幼少期に帰することを次のような言葉で残しています。

「思い出す限り、私はいつも友人や仲間に囲まれていた。だいたいにおいて私は友だちに大いに好かれた。このような友だちは途切れることなく次々にできた。私が人との協力が必要であることを理解するようになったのは、おそらく他の人と結びついているという、この感覚によるものだった。これが後に個人心理学の鍵となった主題である。」(『アドラーの生涯』)

こうした幼少期の経験が、共同体感覚(上記の引用文「この感覚によるもの」に該当します)を生み出す原体験になっていることがわかります。

アドラーは、幼少期から病気(虚弱体質など)や死に対する恐怖感が強く、それをどう克服するかが人生の課題でした。自分の弱さに苦しみながら、自ら努力して克服しています(数学が苦手な話など)。

また、医師として出会った曲芸師や道化師の話も、職業柄努力の末身体的なハンディキャップを乗り越えていることを目の当たりにしています。

このように、医師の経験が、自分の小さい頃の記憶と重なり合いながら、アドラー心理学(器官劣等性、劣等感など)に大きな影響を与えたと考えられています。

フロイトとの出会いと決別が、アドラーにとって大きな転機となり、アドラー心理学誕生につながりました。

フロイトとの意見の対立の例を挙げれば、フロイトは無意識と意識を分けて考えますが(二元論)、アドラーは一つのもの(全体論)として捉えます。

また、アドラーの生涯で述べたように、父親とは良好で、母親とは良好ではなかったというアドラー自身の経験は、フロイトのエディプス・コンプレックス(*3)と相いれない点も興味深いところです。

アドラーは、フロイトと相いれない独自の心理学として個人心理学を打ち出します。個人というのは、社会と分離した個人という意味ではなく、わけられない個人という意味です。