【関連記事】「出て行け=行かないで」では、数式が成立しない。

桜かがよう声よ

法的な登記手続き一切を代行する暮らしの中の法律実務家として、司法書士の仕事を天性の職業と満足しきっているように見えていた正太郎が、貧しい時代の若い時の夢を忘れていなかったことに、そして孫の人生を左右する重大な場面でそれを口にしたことに、息子の武彦は驚いた。そんなロマンチックな男だったとはなと、感動の面持ちで言った。

そう言えば親父、ずっと事務所で判例事典を取り寄せて読んどった。僕はてっきり仕事上必要な参考書だからとばかり思って見てたけど、親父、若い頃の死ぬほどの勉強を懐かしんでもいたんやな。

息子の武彦が事務所を引き継ぎ、孫の健一も一緒に仕事をしている。嫁のふゆ子は経理を受け持っている。三人の娘たちはそれぞれに家庭を持っている。数年前に妻を亡くしたことを除けば、正太郎はけっこう幸せな老人なのだ。

頑健な体躯に恵まれている正太郎であったが、次第に視力が落ちて書類を作るには不安が多くなり、足元も覚束なくなった。八十五歳を機に事務所に通うことをやめたが、九十歳を目前にしている今も近所や知人の揉めごとや頼みごとの相談に乗る頼り甲斐のある仕事師である。武彦と健一が手を焼く土地の境界を巡るしつこい感情的な争いなどは、業界最古参の経験と長老の貫録で、当事者同士が正太郎の顔を立てて譲り合い見事に解決に至ることだってあるのだ。

独学で裁判所の書記登用試験に合格した正太郎は、その苦学の頃をふと口にすることがある。

それこそ六法全書を端からちぎって飲み込むような勉強したで。仙台で試験を受けたんやが、真冬やった、飲まず食わずで汽車を乗り継いで夜遅くたどり着いてなあ。世話になった林さんの家でありついた熱い湯気の立ったキツネうどんの味、今でも忘れられん。

それから神戸裁判所で書記官を務めていた正太郎は、判事任官を志す同僚数人と勉強会を持っていた。