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永遠なれ わが青春の街中華
僕は、噴火寸前だった。京都の地形をカルデラ盆地に、比叡山や愛宕山を外輪山に変えるほどの激烈な噴火だ。大学に入学して、京都の生活にも物珍しさ感が薄れ始めた梅雨の頃、僕は急激に九州の味が恋しくなった。その衝動に突き動かされ、九州の味を求める行脚に出たのだが……。
「うまかーっ、本場博多の豚骨ラーメン」「長崎県民 魂の味 チャンポン」といった看板に釣られて食べてみるが、「これのどこが九州だ」と阿蘇山噴火級の怒りが込み上げてきた。僕は、店に対する抗議を込めて、麺を三口啜っただけで残すといった暴挙に出た。
これを「若気の怒り」という。
九州を分かっていない。店主に地図を見せて、九州を指し示せと言っても、パプアニューギニアあたりを指すのではないかと疑った。全くの看板倒れ。売れないプロレスラーに「銀河系最凶の殺人狂(実はボランティアが趣味の常識人)」とか「アフリカの奥地で発見された最後の首狩り族(実はハーバード大学で法律学の修士号を持つ知識人)」といった異名を付けてプロモートするようなものではないか。
僕が求めているのは、自分の味覚と料理人の腕が鎬しのぎを削る、例えるなら強豪プロレスラー同士のチャンピオンベルトを賭けた丁々発止の戦いだ。好敵手不在に、京都で九州の味を求めることを諦めかけていた時、運命の西陣の街中華と出会った。間口が狭い、いわゆるうなぎの寝床状態の店なので見落としていたのだ。
かなり年季が入った店構え。ショーウィンドウには、色褪せた長崎皿うどんの食品サンプルが。今夜は、ここの店主と対戦。せいぜい前座クラスで、メインイベンターではなかろうとあまり期待せず、皿うどんを注文し、戦いに臨んだ。
試合結果は、一分もかからず僕のフォール負けである。京都の下町に未知の強豪がいた。それも僕の生活の本拠である西陣にである。灯台下暗し。熱々、トロトロの餡の"舌妙"な甘みに脳天がリングのマットに突き刺さる衝撃だ。の…脳が震える癖になる甘み。バリバリの麺は釘の様に尖って硬い。食べ始めから歯茎に突き刺さり流血だ。流血に恥じることはない。流血はプロレスラーの嗜みだから。食べ進むにつれて、麺に餡が染み込み、尖っていた麺が舌や歯に馴染む柔らかさになり、心地良くスイングする。
野菜の"しんなり度"も申し分ない。野菜がシャキシャキしていたらダメだ。サラダじゃないのだから。理想の野菜の"しんなり度"はこうだ。浪人生が第一志望大学に不合格したような"しんなり度"は、しんなりし過ぎ。現役生が、第一志望の東京の有名私立大学に不合格したが、第二希望の地元の国立大学に合格したような"しんなり度"が望ましい。
極め付けは、餡にアクセントをなす深紅の蒲鉾である。分かっているじゃないか、ここの大将。白い本体に縁が薄紅色の一般の蒲鉾は、皿うどんには力不足なのだ。九州人の情熱を練り込んで、全身が深紅に染まった蒲鉾でなければダメなのだ。ついに、好敵手の出現。その後、僕は毎週土曜日の夕方に、この店に通うことになる。