【人気記事】JALの機内で“ありがとう”という日本人はまずいない
一日鮮秋 二〇一九年十一月
御影堂に行く。堂内の畳の上に、老若男女が座り込み、疲れを癒している。観光難民キャンプ状態。僕も座りたかった。座れば横になり、そのまま起き上がれなくなりそうなので、鴬張りの廊下を通って霊宝館へ行く。
いろいろと目を引く物があったが、中でも「紺綾金字・嵯峨天皇宸翰勅封般若心経(復元模写)」と「太刀・膝丸」は、しばらく眺めていた。
嵯峨天皇は、空海・橘逸勢と合わせて三筆と称される能書家である。般若心経は、画数が異常に多い、一生に一度しか見ないような難しい漢字が頻出する。そんな漢字を筆で潰すことなく書いている。小学生の頃、習字の授業で名前の「朝」を書くと、どうしても黒く潰れてしまい、切なくなったことを思い出す。
嵯峨天皇の字は、個性をしっかり主張しているが、美しさを失っていない、どれだけ研鑽を積んだのだろうかと感心すること頻りである。
「太刀・膝丸」は、清和源氏重代の宝刀である。その名前は、罪人を試し斬りした時、両膝も斬り落としたことに由来するという。源頼光、源義家、源義経、源頼朝等、源氏の錚々たる武将が歴代所有者として名を連ねている。
武器としての殺傷力を追求した禍々しさと精巧を極めた鋼の美術品としての美しさを併せ持つ逸品である。
一通り見終わった後、大覚寺前の商店のベンチに座り、お互い無言で缶コーヒーを啜る。が、ライフゲージは回復せず。
目の前をタクシーが通りかかる。もう歩きたくない、お互いに気持ちを見透かしていたようで、同時に手を挙げ、タクシーを拾い、JR嵯峨嵐山駅へ向かう。
新幹線プラットホームで、のぞみ号を待つ。あと一時間ある。回る寺を一つ増やしても、予定より大分早く着いた。
さて、今日は京都の秋の風情を満喫できたのか。自問自答する。うーん、素直に頷くことはできない。色付いた紅葉は錦秋と呼ぶにふさわしかったのだが。何か秋の情感が物足りなかった。