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マンゴー雑感
沖縄にある農水省所轄の研究所で、マンゴーのフルーツ・フライを駆除するための蒸熱機材を見せてもらう機会があったが、その機材のお陰で日本でもタイのマンゴーを食することが出来る様になったとの研究所員の説明に唯々頷くばかりであった。
ベトナム、ラオス及びカンボジアのマンゴーをそれぞれ現地にて食する機会があった。どれもタイのマンゴーと同じような味と食感であったが、マンゴーについては、「おらが国のマンゴーが世界一」と所謂マンゴー自慢合戦になると聞いている。日本人の味覚に一番合うマンゴーは、一体どこの国のマンゴーであろうか。
ところは変わってニューヨーク。その昔、木枯らしが吹く冬の一夜、アッパー・イーストの三番街のビルの谷間にある「寿司バー」で、ニューヨークにて研修中のタイの英字紙の女性記者と寿司をつまんだことがある。「外国における生活で、日本人の多くはプラー・ディップ(刺身)がないとね」と日本人と刺身・寿司の相関関係につきひとしきり説明したあと、「タイ人も外国の生活でタイ料理がないとだめらしいけれど、今一番食べたいものはナアニ?」と試しに訊ねてみた。
暫しの熟考の後、彼女の口から出てきた言葉は、「カオニオ・マムアン」(糯米の強飯にマンゴーの果肉をのせココナツミルクをかけたデザート)。そう言った後、彼女の口から大きなため息が漏れていた。「でも、この抹茶のアイスクリームもいけるわ」とその女性記者は、外交辞令も忘れなかったが、「カオニオ・マムアン」の発音が暫く耳に残って余韻となった。全く思いもしなかった新鮮な驚きがあった。
二十代後半の一時期を、チットラダー宮殿近くのタイ人の家庭に下宿したことがある。下宿にはさほど広くない庭があったが、一年中蘭の花で溢れていた。確か四月末のある日、下宿のおばあちゃんが、私の部屋の前に来て、先にバスケットのついた長い竿を持って何事か騒いでいた。
マンゴーを収穫していたのである。マンゴーが実ったらあの枝のマンゴーをおまえにあげると約束してくれたおばあちゃん。おばあちゃんが汗水垂らして収穫してくれたマンゴーをその場で食べることが出来た。完熟とまではいかないが、甘い果汁で口がいっぱいになった。不覚にもシャツをマンゴーの果汁で濡らしてしまい、おばあちゃんにしかられてしまったが、マンゴーの季節が来ると、よろけた腰で長い竿を振り回しながら、危なっかしげにマンゴーをとる下宿のおばあちゃんの姿が、今でも瞼に浮かんでくる。
以前、マーロン・ブランド主演のベトナム戦争を題材にした映画「地獄の黙示録」を見る機会があった。インドシナのジャングルに消えた米人将校を捜し出す為に米軍の船がジャングル内の河川を遡っていくシーンがあり、何故か若い兵隊二名が下船してバケツ片手に野性のマンゴーを探しにジャングル内を歩き回る場面があった。
たわわに実った野性のマンゴーの木が出てくるものと期待して身を乗り出して見ていたが、突然、マンゴーの木ならぬ大きな虎が画面いっぱいに飛び出して来た。あの時は本当にびっくりた。米国海兵隊がワーグナーを聞きながら飛行機から飛び降りるシーンも印象的であったが、マンゴーならぬ虎のシーンは不思議なことに脳裏に鮮明に焼きついている。