一日鮮秋 二〇一九年十一月
今日巡る寺は、県道五〇号「京都日吉美山線」沿いにある。綺麗に石畳風舗装が施されているが、いかんせん道幅が狭い。車一台がやっと通るくらいだ。
しかも、道沿いの民家は、申し合わせでもしたかの如く、揃って国産または外国産の高級車を所持している。女房が「我が家では、ここら辺には住めないね」とポツリと漏らす。
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住民の高級車が通ると、接触して車を傷付けることにでもなれば大変と、歩行者の方が気を使って、蜘蛛の子を散らすように道を開けている。
この道路の歩き難さに拍車をかけているのが、人力車である。奈良公園で、しつこく車夫が言い寄ってきた苦い思い出があるので、事前に断る口実を用意して来た。案の定、車夫が近寄ってきた。
「人力車は、如何ですか」
「医者から歩くように言われてますから」
「折角の機会ですので、旅の思い出に、奥さんとご一緒にどうでしょうか。仲の良いツーショットもお撮りしますよ」
「今頃、女房は自宅でテレビを見ています。ですから、この人と一緒の写真を撮られては困ります」
「………」
唖然とする車夫を残し立ち去る。このやり取りを聞いていた女房は、しばらくの間、口を利いてくれなかった。
二尊院の参道の両側には、百メートルにわたり楓と桜が交互に植えられ、枝が参道の真上で交差している。緑、黄緑、黄、橙、赤、紅とグラデーションに色付いた葉が参道の天蓋となっている。参拝者は、虹のアーケード街を歩いているようだ。
本堂で、寺名の由来となった釈迦如来と阿弥陀如来、人気の如来ユニットを拝観する。いずれも鎌倉時代の作。経年のため金泥が落ち、像が黒ずんでおり、細部が分かり辛い。もっと間近でご尊顔を見ながら拝めたらいいのだが。
鐘楼に行くと、参拝者が鐘を撞くことができるようになっている。ずっと撞きたいと思っていた寺の鐘。逸る心を抑え、嵯峨野に響き渡れとばかりに渾身の力で鐘を撞く。「鼓膜を破る気か」と女房から叱られる。
常寂光寺に向かう道すがら、中国人観光客が増えてきた。嵐山見物を終えて、嵯峨野に流れてきているようだ。
常寂光寺の山門から中国語の濁流に飲み込まれる。濁流に浮きつ沈みつしながら流される。
濁流は、運慶作と伝わる仁王像がある仁王門目がけ押し寄せる。そして、境内に流入し、中国語の大海原となる。運慶、スルーされたッ!