境内の紅葉も美しいが、円錐形の枝ぶりの銀杏の巨木が、搾りたてのレモン色に染まり目を引く。木の下から見上げると、銀杏が秋の蒼天に向かって、空気をズーンと貫き、生命力を迸らせている。
中国語の狂騒の中にあって、先ほどから乾いたコツコツという音が聞こえている。気になる。なんだろう。
音源を探し、人気のない庫裡の横に出た。辺りをぐるりと見回す。いた! キツツキだ!
初めて見る生キツツキ。しかも京都で。こんな自然が残っていたのか。スゲー、スゲーと興奮。
女房も歓声を上げ、キツツキを写真に収めようと慌ててスマホを向けている。
老木のてっぺん近くの幹を、しきりに突っついて、観光客を喜ばせようとアピールしているにも拘わらず、僕たち以外誰も気付いていない。報われない観光ボランティア。腐るなキツツキと慰める。
ふと、横を見ると女房がいない。お互いの写真を撮り合う中国人観光客のグループが大きな渦となっている。女房はその渦に飲み込まれている。
カメラの画面に入ってはいけないと遠慮する日本人の習性のために、渦に飲み込まれて身動きができないのだ。このまま延々と渦に囚われる訳にはいかないので、救出に向かう。
こんなにたくさんの観光客で溢れているのに、写真に他人が写り込まないなんて、どだい無理な話だと女房の手を引きながら言い聞かせる。僕は、中国人観光客のカメラの画面に入ることを一切気にすることなく鼻をほじる。
昼には、まだ間があったが食事を摂る。思ったよりも、早く回れている。というより、多くの中国人観光客に、後ろから煽られるために、心ゆくまで、のんびりと見物できないのだ。予定より大分早く宝筐院に来てしまった。
宝筐院の回遊式の広い庭園を回る。頭上の深紅と黄色の紅葉が、我こそは庭園の主役とばかりに、せめぎ合っている。
どうしても参拝したかった楠木正行の墓所に向かう。正行が戦死覚悟の合戦に赴くにあたり、鏃で辞世の歌
「かえらじと かねておもへば梓弓 なき数に入る 名をぞ止むる」
を刻んだ門扉が、吉野の如意輪寺に保存されていると知って、二十年前に見学に行ったことを思い出した。
桜のシーズンではない暮れも押し詰まった日で、観光客の姿は見えず、寺の受付は無人だった。たまたま、門前に居た小学校低学年くらいの男の子が、住職の子供というので、お父さんに「九州から、お客さんがはるばる訪ねてきている」と伝えるよう言い聞かせ、君は良い子だから大急ぎでお父さんを連れて来られるよね、Here we go! と背中を押した。子供は寺へ全力で走っていき、慌てた様子で住職が出てきてくれて、件の門扉を拝観することができた。その節は大変お世話になりました。
正行の首塚に五輪塔が立ち、その五輪塔の横には、足利義詮の三層石塔が立っている。正行だけではなく、義詮の墓所にもなっているのだ。正行は楠木正成の嫡男、義詮は足利尊氏の嫡男で室町幕府の第二代征夷大将軍である。
楠木は南朝方、足利は北朝方として戦った間柄であるのに、何故、墓が仲良く並んでいるのか。
寺の由来によると、義詮の「自分の死後、かねてより敬慕していた正行の墓の傍らで眠らせてもらいたい」との遺言に副ったものだという。