一日鮮秋 二〇一九年十一月
JR嵯峨嵐山駅のプラットホームに降り立つ。と、そこは異国だった。中国語の喧騒が沸き起こっている。電車の中で、ウトウトしたために、国境を越えて中国まで駅を乗り過ごしたのかと、錯覚してしまう程に。これでは、中国に来た日本人観光客のようではないか。逆だ。立場が逆だ。
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中国語の大河の濁流が、改札口に向かって滔々と流れている。溺れないよう、僕は必死にもがく。気が付くと、横にいた女房がいない。どこにと振り返ると、波間から女房の頭が見え隠れしている。ちゃんと息継ぎは出来ているのだろうか。心配だ。しかし、この濁流を女房の元まで泳ぎきる体力はない。
荒波に揉みしだかれ、やっとの思いで、改札口を抜け、対岸に漂着する。女房もヨレヨレになっているが無事を確認。
JR山陰本線は、嵯峨野と嵐山を南北に分断するように走っている。北側が嵯峨野で、南側が嵐山だ。外国人観光客に煩わされることなく、京都の秋の風情を楽しみたい僕は嵯峨野を選んだ。なぜなら、外国人観光客の大半は、よりメジャーな嵐山に流れるとの読みがあったからだ。
駅の北側出口、つまり嵯峨野方面に出る。閑散としている。読みが当たった。「どうだ」とばかりに女房に握りこぶしを突き出す。
まず、タクシーで化野念仏寺へ行き、そこから徒歩で駅に向かい南下しつつ五つの寺の紅葉を楽しむ日帰り旅の予定である。
タクシーに乗り込むや、運転手に嵯峨野を選んだ理由を語り、「外国人観光客は少ないですよね」と念を押す。「ここら辺は、どこに行っても……」と運転手の歯切れが悪く、不安にさせる。
三十年以上昔、僕が大学生だった頃、こんな心配することはなかったと嘆くと、僕と同年配の運転手もそうだったと意気投合し、お互いに八十年代の京都を懐かしむ。
最初の訪問地、化野念仏寺に到着。ちらほらと観光客がいる程度。良かった。これなら、心静かに紅葉を楽しめる。
「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の烟立ちさらでのみ住果つる習ならば、如何にもののあわれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ」
と徒然草にも記されている様に、ここ化野は鳥辺野、蓮台野と並び、三大風葬の地であった。歴史的ミステリースポットというか、古典的事故物件地である。
この地に葬られていた人々の墓である石仏・石塔、八千体が境内に集められ供養されている。
緑の柔らかな苔の絨毯の上に並ぶ石仏・石塔は、何も語ることなく、ただ静かに立っている。
ふうわり、と雪片の様に、深紅の紅葉が舞い、苔の上に優しく積っていく。境内を覆う濃密な静寂が心地良い。
祇王寺の門前に、日本人観光客の団体がいた。ツアーガイドが「遠慮せず、写真をバンバン撮ってください」と煽っている。なんだとー! 嫌な予感が。