2 卑弥呼(日巫女)の死
卑弥呼は、狗奴国の男王の卑弥弓呼(ひみここ)とは日頃から仲が悪く、戦が続いていた。形勢も不利だったのか、サシとウエツを戦況報告のために朝鮮半島の中国の出先機関の帯方郡に使いを派遣す。その結果、国境警備隊長の張政を邪馬台国に派遣し、詔書と黄幢を難升米に渡す。
「以て死す。二四七年か二四八年に死去した。直径百歩余りの墳墓を作り、百人の奴婢が殉葬された」
差し渡し百歩は百四十メートルくらい、殉死者百人と書かれている。
百人の殉死者は、生前「太陽観測の神籠石遺跡は確か十カ所、一カ所約十人が、この悲報を聞いて、それぞれの地区で殉死をしたと考えられるから驚くほどではない。
①死んだ原因は何か?
考えられる死の原因
(1)狗奴国との戦争が形成不利となり戦死
(2)老衰
(3)占いが当たらず殺された
(4)太陽神に関わる自殺
(5)皆既日食を予測できなかったことで殺された