第4 破棄自判
2.東京地裁判決と東京高裁の見解
従来、東京地裁判決は「経過の異状」説、東京高裁判決は、「外表異状」説と言われて来た。しかし、東京高裁判決の論旨を念頭に両判決をみれば、『検案』ということに関して、両判決とも「外表異状」を根拠としていたといえそうである。
両者の違いは、『検案』して、外表に異状ありと認識できる時点がどの時点なのかという、医師法第21条に規定されている二十四時間という時間の起点の問題である。東京地裁は医師法第21条の届出義務が発生する起点を死亡確認時点であるとしたが、東京高裁はこれを否定した。
死体の検案とは、死因を判定するために死体の外表検査をすることであるので、事実関係によれば、平成十一年二月十一日午前十時四十四分頃、D医師が行った死体の検案すなわち外表検査は、Aの死亡を確認すると同時に、Aの死体の着衣に覆われていない外表部分を見たことにとどまる。異状性の認識について、心臓マッサージ中にAの右腕の色素沈着にD医師が気付いていたとの点については、証明が不十分である。
D医師が心臓マッサージを施している際、Aの右腕には色素沈着のような状態が見られた旨供述する検察官調書も、それほど具体性のある供述ではなく、それをじっくり見て確認まではしなかった旨も供述している。警察官調書においては、右手静脈の色素沈着については、病理解剖の外表検査のとき初めて気付いたとされている。