雨が降り続いていた。
母親を東邦大学病院へ送ってから、あい子は会社へ来た。
様子を聞くと、特に変わったところはないという。
定刻に帰宅すると良子は魚を買って帰っており、(東邦最寄りの蒲田駅には良い魚屋がある)今日は「手巻き」で食べよう、ということで、良子も一緒に食べたのである。
治療の様子を聞くと、何もしなかった、という。検査が必要な場合にのみ東邦のような病院へ来れば良いので、普段はご近所のお医者さんがいいですよ、と言われたという。要は東邦病院へ来るほどのことではないということだった、というので、それならばそれで目出度いことだと、私もあい子も、よろこんだのである。この時点で完全に安心した。
私は仕事の関係で毎週水曜日は栃木県A市へ行く。
翌日9日もA市へ行った。
がしつこく降り続いていた。
A市からの帰りは、16時7分石橋駅発(湘南新宿ライン)である。
強い雨であった。帰路、ずっと降り続いていた。
古河─栗橋間、鉄橋下の利根川は、河川敷がまったく見えず、水面が巨大に広がり、その不気味さに驚いた。
しかしそのすぐあと、久喜を過ぎたところで(16時50分頃)右側前方が晴れ、陽光が車中に差し込んできた。
車内アナウンスが、
「左側をご覧下さい。きれいな虹が出ています」
と、そんなイキな案内をした。実際、実にきれいな虹が、左側上空に描かれていた。
ようやく雨は上がったと思った。
ところが赤羽を過ぎ池袋に着いた頃から、再び猛烈に降ってきた。
雨は更にずっと降り続いた。
翌日は大阪への日帰り出張が決まっていた。
鬼怒川の決壊は大阪で知った。
この日は良子の希望で、“551”の「豚饅」を買って帰ることになっていた。
551は京阪神、奈良、和歌山にしか出店していない。特に東京は、オーナーの意志として出店しないのだそうである。私がたまに買って帰ると良子は喜んだが、考えてみると、自分から望んだことはなかったと思う。いずれにせよ食欲のあることを私は喜んだ。
そしてこの夜、良子は、豚饅1個を食べたのである。
12日の土曜日夕刻、宇都宮で結婚式があった。私は主賓としての挨拶も求められていた。良子に対して何の不安も持たず、宇都宮へ向かった。
そして、帰りの新幹線の中で、あい子からのメールを受け取った。
≫09/12 19:34
≫お母さんが救急車を呼びたがっている。
≫激痛はないがずっと嘔吐を繰り返して参っている様子。
≫≫09/12 20:05
≫≫宇都宮、出た。
≫≫様子は? 藪医者どもめ! 重大な病気かも知れん。
≫09/12 20:13
≫今救急車出発した。お母さん自分でよくしゃべってるし顔色はいい。
≫だいじょうぶ。みなと赤十字病院へいく。
≫09/12 20:22
≫いま病院に着いた。
≫≫09/12 21:55
≫≫いま家に着いた。
私は結婚式で酒をたっぷり呑んでいたし、雨も降り続いていた。
病院のどこを訪ねれば良いかも分からず、行き違いになる可能性大だったので、自宅待機することにした。普段持ち歩くカバンの中には自宅の鍵、SECOM解除キーを入れてあるのだが、この日は結婚式で、カバンを持たなかった。あい子の鍵一式を、決めてある場所に置いておくことを指示していた。
≫≫09/12 23:29
≫≫カギかけてある。帰ったら携帯へ電話してくれ。
私も動顛していて、私が受け取った場所へ置いておけばよかったのである。気が回らなかった。そして実際にはあい子は、良子のカギを持って帰って来た。
私は携帯電話を耳元において、寝てしまった。
間もなくあい子は帰ってきた。
割と平気な顔で、「お母さん、入院した」と言う。
「苦しんでないの?」
「大丈夫。しっかりしている」
我が家族の、おそらく際立った特性は、「心配できない」という性格である。〝杞憂する〟、〝思い悩む〟という神経が、全員、見事に欠落している。そのまま私は寝入ってしまった。
この10日間(続)
翌日13日の日曜日は、六本木の俳優座劇場で“オペラシアターこんにゃく座”の『魔法の笛』があった。13時の開演で、良子もそれはよく知っており、「お母さんは大丈夫だから、行くように」と、あい子に告げたそうである。そういう女だ。私たちは病院へは、観劇後、夕刻に行くことにした。
“こんにゃく座”を知ったのは、山田百子さんというヴァイオリニストの関係である。彼女が楽士として度々出演していた。なぜ山田百子さんかというと長くなるので省く。こんにゃく座は林光先生たちによって創設されたが、その光先生に山田百子さんは可愛がられていた。そのつながりで彼女は〝こんにゃく座〟と関係を持ったのだと思う。今回も彼女が奏する日を選んで、この日になったのである。
林光先生は「劇団四季」にも関係している。
というよりも光先生のお父様が、浅利慶太氏を初めとする「四季」創設メンバーの応援をしていたようである。光先生ご自身も、「四季」のために作曲している(『思い出を売る男』)。
しかし、林光先生の求めたものは、「劇団四季」とは随分違うと思う。
私は、「四季」によって舞台の面白さに目を開いたので、「四季」には心から感謝している。今も年に数回は観る。
いつ観ても、どのステージも、きっちり仕上がっていることに感心する。それが、あまりに「きっちり」しすぎているのではないか、というのが、最近の私の感想である。いつも同じ絵の出る紙芝居的、と言えようか。
“こんにゃく座”には、「四季」的な観点からすると、少し、いい加減なところがある。その緩さ、仲間的、家族的なところが、私には魅力である。今回の、『魔法の笛』は大変な力作で、十分に満足した。
病院へ良子を訪ねたのは、17時45分頃であった。
良子は横になっており、点滴が打たれていた。
ナースステーション前の個室で、絶好の場所である。個室と言っても東邦大学病院のようにホテル的なものでなく、質素である。シャワールームがあるので、これで十分と言える。
さすがに少し疲れたようであったが、割とよくしゃべった。「本を持ってきてほしい」と言った。
30分ほどした頃、先生が入ってこられた。
サインの欲しいものがあるからと、私とあい子を「面談室」へ誘った。