弐─嘉靖十三年、張(チャン)皇后廃され、翌十四年、曹洛瑩(ツァオルオイン)後宮に入るの事
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「叙達(シュター)よ、わたしは妻をめとり、子をもってから、浄身した。おまえと同じで、宦官となったのは遅かったが、これでも一時は、将来を嘱望され、張(チャン)太后じきじきのお仕えとなったこともある。だが、いまは、このとおり浄軍の一員にすぎない。
なぜ、こうなったか、わかるか? 先輩宦官のふっかけて来る無理難題に、耐えられなかったのだ。耐えられずに、怒りをあらわにし、反抗した。それが、運のつきだった。おまえは、城外に、身寄りを持たぬのだろう? 漁門を飛び出して、行くところがあるのか?」
「……ございません」
「わたしだって、おまえの身の上ばなしをきけば、なんとかしてやりたいと思う。だが、ほかに、よい働き口を知っているわけではないし、少ない給金で、故郷にのこして来た老父母と、妻子をやしなわねばならぬ身だ。この上、私的におまえをやとうような余裕は、ない」
「………」
「耐えしのぶことのできない者に、未来はない。今なら、まだ間に合う。漁門へもどれ。漁覇翁(イーバーウェン)は、道義にもとる商売をしているかもしれぬが、おまえが直接、手を下すわけではあるまい。麵売りの仕事をしながら、耐えて、機会をうかがうのだ。他の衙門(やくしょ)に、知り合いがいるか?
そういう人を大切にしろ。つき合いと、礼を欠かすな。縁(えん)を軽んじる者に、よい話は来ないぞ。ひょっとしたら、縁につながる人が、よい口をみつけて来てくれるかも知れん。わたしのところにも、ときどき顔を出しに来い。おまえのことは、気に留めておく」
「はい」
「それから、正戸の身分は、もう手に入れたか」
「……まだです」
趙大哥(チャオターコウ)は、あきれた貌をし、ついで、何か言おうとした。それは、いつまでたってもうだつの上がらぬ後輩に対する、お叱りであったかもしれない。だが、嘆息とともに、ようやく出て来たのは、つぎの言葉であった。
「宦官も、銀がなければ、何もできぬからな。節約に、はげめ」
私はこうして、とぼとぼと家路をたどった。脳裡には、羊七(ヤンチー)や、足を切られた女の顔が浮かんだ。殺されるときは、どんな思いだったろう。私もまた、漁門に忠誠を誓わぬ異分子だ。はやく脱出しなければ、おなじ末路をたどることになるのだろう。
門のところで、段惇敬(トゥアンドゥンジン)とすれちがった。王暢(ワンチャン)という人間など、この世に存在しないかのように、石ころなみに、黙殺された。彼の、いつも以上に傲然とした横顔を見て、胸さわぎをおぼえた。