弐─嘉靖十三年、張(チャン)皇后廃され、翌十四年、曹洛瑩(ツァオルオイン)後宮に入るの事

(4)

「で、どうした」

段惇敬(トゥアンドゥンジン)は、手で小刀をつくって、するどく振ってみせた。

「はっはは……漁門の段二(トゥアンアル)にたて突くとは、いい度胸だ」
相手は破顔した。
「だが、東廠(とうしょう)の目もあるだろう。あんまり、おおっぴらにやらないことだ」

「心得ておりますよ」
段惇敬(トゥアンドゥンジン)もまた、莨(たばこ)をふかしながら、言った。
「ちゃんと、手は打ってあります。東廠(とうしょう)の、実力ある方々も、われわれの上客ですからな」

「ほう、さすがは漁覇翁(イーバーウェン)どのだ。そのあたりに、抜かりはないのう」

暗い部屋は、二人がふかす煙と、どす黒く、かわいた笑いで、みたされてゆく。

別室で、梆子(バンズ)がうち鳴らされるのが聞こえた。これから、何かがはじまる合図にちがいない。

「はじまったようです。では、広間にご案内いたしましょう」
「ほっほほ……いよいよ、うわさに聞く、宝林館(ほうりんかん)のご開帳か」

「イエンシーファンどの、さあ、どうぞ、こちらへ」

段惇敬(トゥアンドゥンジン)と、その客は、部屋を出て行った。

イエン、シーファン?

いったい、どういう人なのだろう? イエンという姓は、さしずめ『厳』か、『顔』のいずれかであろうが、もし『厳』なら、南京へ赴任したという、厳嵩(イエンソン)どのの血縁であるかもしれない。曹洛瑩(ツァオルオイン)を自邸にまねいて、おどらせた人物である。

いずれにしても、漁覇翁(イーバーウェン)が秘密裡に招く上客なのだから、銀、権力と、無関係な人であるはずはない。部屋にいたのは一人だけであったが、のこりの四人もまた、漁覇翁(イーバーウェン)が目をつけた高官か、将来、有望な俊秀なのであろう。

さあ、どうするか?

(ひとつ、何が行われているのか、たしかめてやろう)

回廊のつきあたりから、明かりがもれている。そこから、女の嬌声とも、悲鳴ともつかぬ声が、ひっきりなしにきこえて来る。段惇敬(トゥアンドゥンジン)と、イエン某も、ここに入って行ったのだろうか?

そーッとのぞいてみると、目にとび込んで来たのは、五人の男が、酒をくらいながら、全裸半裸の女たちに戯れかかり、いどみかかる姿であった。息をころして、わずかな隙間からようすをうかがう。中には、少年もまざっているようである。全部で、十人から、十五人もいるだろうか。

酒池肉林の世界が、繰りひろげられていた。全身の血が、すっぱくなるような感覚におそわれ、私は思わず、目をそむけた。

これが、漁覇翁(イーバーウェン)の、財力の内幕であったか。
この宝林館には、おそらく、あちこちからさらわれて来た少年少女が、監禁されているのだろう。

漁覇翁(イーバーウェン)は、世間からは成功者とみられている。街区の一角を買い占め、西山楼のような迎賓館までもっている。枢要な地位にある客人とつきあい、豪邸に住み、何十人もの使用人を意のままに動かす。

しかし、これが、商売の実態なのだ。

人を、有無をいわさずさらって来て、重労働の担い手や性のはけ口として、売りとばすか、あるいはここに閉じ込めておいて、権力者に供する。

(羊七(ヤンチー)……あんたは、どこまで知っていたのか?)

その場を離れると、とつぜん、天井が低くなった。