弐─嘉靖十三年、張(チャン)皇后廃され、翌十四年、曹洛瑩(ツァオルオイン)後宮に入るの事
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これなら、宮女の胸をときめかさずにはおかんだろうなどと、よけいなことまで考えた。
三人は、銭を置くと、なにも言わずに、立ち去った。
ご苦労なことだ。
田閔(ティエンミン)が私を推薦するのが第一段階なら、その味をたしかめに来るのが第二段階であろう。たとえ皇后をおろされたお人であっても、宮廷内に料理人を召すとなると、何段階もの選抜をしなければならんのだ。張前后が「麵をたべたい」とおっしゃっても、じっさいに、お口に麵が入るまでには、三カ月くらい、かかるのではないか?
それからさらに半月ほどたって、湯(タン)師兄によばれた。
「おまえの麵を、宮廷で、出してくれないかという要請があった。請け負うことにしようと思うが、異存はあるか?」
「ございません」
「明朝、仕事の準備がおわったら、わたしのところへ来い」
翌朝、湯(スープ)の炊き出しを終え、屋台につみ込んだ。
湯(タン)師兄のうしろをついて歩く。玄武門までは、長い道のりである。言葉は、ひとことも聞かれない。
道中、西山楼(せいざんろう)を通りすぎた。そのはす向かいに、周囲を睥睨(へいげい)するかのような建造物が、目にとびこんで来た。
門扉に、ひげのある鯉と、『宝林館』の三字が、刻まれている。
――これが、いつぞや、もと役人の爺さまが言っていた、新館か。
おもちゃ屋のおやじが、落命するまでの一幕は、あの爺さまのおしゃべりからはじまったのだ。おやじが政局の批判をしていて東廠につかまったのなら、爺さまももう、この世の人ではあるまい。
玄武門に到着した。
「こっちだ」
身体検査ののち、案内されたのは、仁寿宮であった。皇太后さまは、張チャン前后を、ご自分の宮へとよばれたものとみえる。
料理につかう火と水とを所望すると、引率の宦官は、いったん奥へと引っ込んで、ふたたび顔をのぞかせた。
「きょうの主賓は、張(チャン)前后である」
「皇太后さまには、お出ししなくてよいのですか」
「張(チャン)前后の一人前をつくってもらいたい」
「かしこまりました」
白蠟のような貴婦人が、上座にすわっていた。この方は、私のなかで、あいかわらず皇后でありつづけている。なにしろ、生まれてはじめて見た皇后だったのだ。そうじ中、栴檀(せんだん)の香りを愛でられた姿は、脳裡に焼きついていた。
身につけている衣裳が変わってしまったところに、三年の時を感じた。はじめて見たときは、金雲龍文のほどこされた大袖衣に、ただ圧倒されるだけであったが、今日の衣裳は、白地に、ところどころ花模様があしらわれているだけの、簡素なものだった。不遜であるが、かえって年ごろの娘らしさを感じられて、好ましくうつった。