信長が初めて死神を見たのは、十三才で元服した時であった。戦国大名の嫡男として、今まで住んでいた那古野(なごや)城の仕置きを命じた父信秀は、信長に諭すように言った。

「城の主とは、城の命そのものじゃ。城主が生きておれば、城も生きておる。それ故、城攻めの軍勢は、ただただ城主の命目当てに攻め込んでくるのじゃ。そちも攻め入られぬよう心せい」

多感な少年信長は、臆病な性格ではなかった。むしろ知的で聡明である。だがその聡明さの故に、豊かな想像力を刺激し、恐怖を増幅することがある。

(争いの絶えない戦国の世に、餓狼(がろう)の中に置かれた「餌」である自分)

を想像し慄然(りつぜん)とした。

そういう立場で周りを見渡せば、宿老(しゅくろう)達や城兵までもが「餌」の番犬に過ぎず、時と場合によっては、翻って「餌」に喰らいつく存在にも思えた。

信長は日々恐怖心を募らせ、神経質な気性に表れやすい強迫観念から、幼い頃絵草紙で見た死神の幻覚に苦しめられるまでになった。

転機は翌年やってきた。初陣で三河大浜城の攻撃に参加した時であった。取り囲まれた城の中にいる敵方にも「餌」があることを目(ま)の当たりにした。

信長は、世の中何百と城があり、そこには「人ならぬ餌」があることに思い至った。

つまり城主は「人格」を持つ存在でなく、「機能」に過ぎないことに気付いたのである。

現代的に言えば、城とその周辺を支配する統治機構の中の一つの歯車、しかも最も危うい立場の歯車なのである。