これは織田信長のifの空想物語ではない。
これは織田信長のifの歴史小説である。
もしこの男が生き続けていたなら、
日本史、否、世界史が変わっていただろう。
序
天正十年六月二日(ユリウス暦1582年6月21日)。
夜が明けるには、まだ時間があった。老(おい)ノ坂を越えて山城盆地に、一万三千の大軍が移動していた。桔梗紋の旗印が林立する本陣には、惟任(これとう) 日向守(ひゅうがのかみ)明智光秀がいる。今、彼は天下を狙うべく軍を京に進めている。本能寺を襲う手筈になんの不安も無かった。
「殿ー。明智の殿は何いずこ処におわすー」
先陣の将、斎藤利三(としみつ)が低く圧し殺した声を上げながら、進軍に逆らいつつ馬を駆ってきた。光秀を見つけると隊列から離れるように誘い、小声で、
「先に京に潜めし手の者が、奇妙な報せを持ち返りました」
「うむ」
「その者申すには、深夜子(ね)の刻(午前0時)頃、本能寺より騎馬武者数騎が早駆けにて出たとのこと。南に向こうた由(よし)にて、その数は十にはならぬと報せ参りました」
「何者かのう」
「さらにその物見(ものみ)が申しまするには、その中の一人が『上様』と呼び掛けるを聞いたと」
「何ッ。上様じゃと」
『上様』とは、本来将軍に対しての呼称であるが、織田家中の者にとっては唯一信長に対するものである。