もしその騎馬武者の中に信長がいたとすれば、光秀が予定する計画は全く無意味なものとなる。
「その物見、確かな者か」
「これ迄にても心利(き)きたる働きの者に御座いまする」
動揺を見せる眼を宙に据え、光秀はしばらく考え、
「この山道を下った所で兵を休め兵糧(ひょうろう)を遣わせ。秀満(ひでみつ)、次右衛門(じえもん)、伝五(でんご)を呼び、合議しようぞ」
明智秀満は光秀の娘婿、明智次右衛門と藤田伝五郎は重臣であり、丹波亀山城を立つ前に謀反の決意を伝えた者達であった。
――信長は本能寺に居るのか、居ないのか。
――本能寺を出たとすれば、何処に、何故。
信長という人間を十分理解できない光秀にとって、信長の行動を読み切れないことが度々あった。光秀の顔に不安の影が見えた。
「信長様は奇矯な振舞の多い御方故、此度(こたび)もそれであろうかのう」
「しかしながら、彼の御仁も狂人では御座いませぬ。何か目当てや理由がありましょう。行くとすれば何処に」
秀満は自分に問うように言葉を切る。この闇の中では、空が白むまでどれ程も進めない。備中(びっちゅう)の秀吉の陣まで早駆けするならば、明けてからでも十分に間に合うはずである。
「備中までとはちと考え難い。伊丹か大坂辺りであれば、明け六つ(午前6時頃)を過ぎて後少しの道のりとなりましょうや」
伊丹には信長の乳兄弟の池田(いけだ)恒興(つねおき) が城主となって在番している。
「大坂には信孝様がおいでじゃな」
信長の第三子の信孝は、伊勢の豪族神戸(かんべ)家の養子に入り、謂わば神戸家を乗っ取る形で南伊勢を織田勢力圏に組み入れた。この神戸信孝が四国攻めの総大将として、大坂の地に兵の結集を待っている。補佐役として、織田家の重臣丹羽(にわ)長秀(ながひで)が付けられている。
「御二人に何ぞ急ぎの用でもあろうかのう」
答えが見つからないもどかしさに、不安を募らせながら光秀は呟いた。