【前回の記事を読む】『記紀』は作られた系譜か――神武系と成務系、二つの皇統が一本に接ぎ木された可能性を考察

文献・金文の章

第三話 数値情報から見る二倍年暦と皇統譜

天皇の和名について、称号と名前を分解した表(表3-1、3-2・45、46ページ)を示した。ここにも前段で述べた内容に合致する状況証拠があった。「神武天皇」の「磐余(いわれ)」、「景行天皇」の「忍代(おしろ)」のように明確な名前が見られる天皇がいる。

ところが「成務天皇」、「仲哀天皇」、「神功皇后」は称号のみで名前がない。「神功皇后」の「気長(おきなが)」は地名または族名である。

また「応神天皇」の「誉田(ほむた)」、「仁徳天皇(一六代)」の「鷦鷯(さざき)」、「履中天皇(一七代)」の「去来穂(いざほ)」が名前なのか地名や称号なのかは不明である。

「鷦鷯」は「武烈天皇(二五代)」や「崇峻天皇(三二代)」にも見られ、称号と考えてもよいのかもしれない。

前述したように一三代から一七代天皇が二つの系統の重複した人物の合成を示唆したが、その際両者の名前を意図的に採用しなかったのではないか。

さらに二つの皇統の存在は、『記紀』の謎の一つについて説明する一助となるかもしれない。

謎とは二人の始祖天皇がいることである。

「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)(神武天皇)」と「御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)(崇神天皇)」の二人だ。今まで同一人だ、親子だ、一人は創作だと諸説いろいろ述べられてきた。しかし単純に考えるならば二人は接ぎ木前の二系統の始祖だとすればよい。

ただ万世一系に整えた時、どちらか一人を始祖から外すと、子孫や関係者からの反発を恐れ並記としたのではないだろうか。

皇統の接ぎ木説が何の根拠もない妄想として一蹴する人もいるだろう。しかしまた多くの人々が『記紀』の何に信頼を措くべきか悩んでいる。