だからと言って極道の妻になることへの抵抗が全くなかったわけではない。取り締まりや法律が年々厳しくなり、昔のようなシノギをすることが難しくなっていることは歴の浅い麗奈の目にも明らかで、そう遠くないうちに今のような生活は出来なくなるだろうと踏んでいた。

それでも好きな男と可愛い娘が一緒なら怖いものなどなかった。だから表立って結婚式など挙げる必要はない。ウエディングドレスもいらない。そのお金は隣をトテトテと歩く雛菊のために残しておきたかった。

「これからはしっかり貯金しなきゃねー」

「ちょきんー?」

「そ。ヒナの将来のための大事なお金。だからスーパーの特売日は見逃せないの」

麗奈の左手は雛菊と繋がれており、右手には大きなスーパーの袋が提げられている。歩く速度も至ってゆっくりで、そのうえ雛菊から目を離さないように歩いているのであまり前を見ていなかった。

それが致命的だった。前方からナイフを構えて突進するフルフェイスヘルメットの男に気が付くのが僅かに遅れてしまったのだ。背格好が先日スナックに来た二人組の男とよく似ている。あの日以降、店を訪れる不届き者はいなかったのでおとなしく引き下がったのだとばかり……。 

音はなかった。第三者からは体と体がぶつかっただけに見える。しかし実際には麗奈の腹部に銀色の刃がめり込んでいた。

「うっ……」

銀色だった刀身に赤いものがベットリと付着している。数瞬遅れて、熱した鉄で体内を抉られたかのような痛みが麗奈を襲い、男はナイフを抜いて一目散に走り去った。

「ぐっ……」

蓋を失った傷口からは赤黒い液体がドロリと流れ、麗奈は苦悶の表情で膝を突く。一瞬、何が起きたか分からなかった。こういうのはヤクザ映画の中でだけ起こるものだと思っていた。

雛菊はまだ現実を理解しておらず、怯えるばかりだった。麗奈はそんな幼子をゆっくり抱き寄せた。しかし言葉を発しようにも息を吐くだけで耐えがたいほどの激痛が襲う。息を止めて傷口を押さえ、少しでも筋肉に力を入れておかないと痛みで気を失いそうだ。

「マ、マ……?」

とめどなく口内に広がる鉄の味。お酒を飲みすぎて吐く時とは全く違う不快感。体の芯が力を失い、手足が急速に冷えていく。流れ出る血がやけに温かい。

「ヒ、ナ……」

「ママ? ママ!? ママぁ!」

ようやく現実を認識した雛菊の悲痛な叫びが響き渡る。そのせいで麗奈のか細い声はかき消されてしまった。

「ちく、しょう……」

せっかく掴みかけた幸せだったのに。なんで自分ばかりこんな目に遭わなければならないのか、と麗奈は神を恨んだ。

鬼塚麗奈。享年二十三。あまりにも早く、あっけない最期だった。

次回更新は10月24日(土)、11時の予定です。

 

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