【前回の記事を読む】結婚を反対されて絶縁状態だった義父母が突然「息子の近所に引っ越したい」と言い始め…唖然とする私に夫は「君は僕の親の事なんて」と…

一 困惑

美幸のページ

「手術が成功したからといって完治したわけではありません。今後も当院に通院し、点眼薬を使用しながら、経過を診る必要があります。さらに定期的に必要な検査をして目の状態を確認する必要があります」と言われたようだ。

「田舎で療養するわけにはいかないのか」という義母の質問に「目を治したいと本気で思っているのであれば、何かあった時にすぐ対応できるように今の住まいで生活すべきでしょう」と言われて、二人とも長野に戻れないことに落ち込んだようだった。結局義父が「目が見えなくなっても長野に帰りたい」という義母を説得して、茅ヶ崎で生活することになった。

「お前たち家族の負担にならないように、できるだけばあさんとやっていくから」と夫は義父から言われていた。夫には義父に対するわだかまりはあったが、目の前の年老いた両親を見るとその気持ちが揺らいでいたのだろう。

「そうは言っても慣れない土地だから、困ることはあるだろう。僕たちを頼っていいんだよ。そのために僕たちがいるんだから」と穏やかにその場を収めたようだ。

二人とも几帳面な性格だったので病院にも定期的に通い、先生の言うことを守ってきた。そのうちご近所にも仲良くなった人ができて、こちらの生活も楽しんでいるようだった。二人ともまだ七十歳代だったので、近所にしっかりした老夫婦が引っ越してきたと思われたようだ。他にも子供を頼り、近くに越してくる人もいたようで、あまり抵抗なく受け入れてもらえたようだった。

義父は以前から本が好きだったので、図書館に行くのが日課になった。そこで出会った人と、子供の頃得意だった将棋を指す機会も増えていったようだ。そのことがきっかけで老人センターにも出入りし、「引きこもってしまうのではないか」という夫の心配は取り越し苦労となった。

また長野に定期的に帰っているようで、体力が落ちないように散歩を日課としていた。三十分くらい歩くと海が見えるので、雨が降らなければ二人で海まで散歩をすることも生活の楽しみになっていった。

義母は多くの人と同じように、昔から編み物が好きだった。近所の編み物好きな人に誘われて、市民センターの編み物教室に行くようになった。目が悪いと言いながら、時間があると編み物をして過ごしていた。近くの公園で朝富士山を見てから、義父と海まで散歩するのは思いがけず、かけがえのない時間になったようだ。