多分いじめた子供たちと同じ中学校に進むことを考えたら何とかしてやりたいと思ったに違いないでしょう。それにしても自分が親ならそこまで思い切れただろうかと考えてしまいます。

中学校に入学すると環境が全く変わり、新しい友達も沢山出来、学校ってこんなに面白いところだったのだと夢中で遊びに没頭しました。勉強なんて一切せず、成績はどんどん悪くなっていきましたが、それでも友達との色んな遊びが楽しくて遊んでばかりいました。親の心子知らず、ですね。

中学二年生の時に自分にとって運命的な出会いがありました。それは今では広く整体治療院のチェーン展開をしていて、同じ経営者としても切磋琢磨している野本一也君との出会いです。彼とは僕が16 歳で高校を辞めるまで、よく遊んでいました。野本君となぜそんなに仲良くなったのか不思議です。性格も強く僕とは全然違うし、僕の頼りなさとかが心配で気にかけてくれたのかもわかりません。

彼のお母さんには物凄く良くしてもらい感謝しています。私が中学から親元を離れ高知市内で寮生活や下宿生活をしていたこともあり、野本君の家に泊まりに行ったときや遊びにいくときにはよく美味しい食事をふるまってくれました。その食事が凄く美味しかった思い出があります。

私の実家は黒潮町の漁師町なので、田舎料理がほとんどでしたが、彼の家の料理は自分が今まで食べたことがない料理なんかもたくさんありました。私が初めてアルバイトをしたのも、野本君のお父さんが経営されている鉄工所でした。アルバイトには野本君と二人で彼の家に住み込みで通っていました。その時も毎日の食事が楽しみでした。

私が人生で初めて働いてお金を稼いだのはこの仕事です。汗水たらして働いてお金を稼ぐってなんて楽しいんだろうと思わせてくれました。彼は子供の頃から人一倍負けん気が強くて向上心もあり優しい人間でした。そのような彼の人柄を今でも私は尊敬しています。

そのまま高校に進み、高知市内での学生生活は勉強こそしてはいませんでしたが、仲間がいる楽しさを味わえた良い時間でした。親にとっては、頭の痛いことだったと思いますが、そんな中でも寮生活において年上の先輩などに可愛がられるという人生勉強が出来たと思います。

なぜかわかりませんが、とにかく先輩から嫌われたりいじめられたりの経験は一度もなかったのです。反対に可愛がられた記憶しかないです。先生にも叱られはしましたが、ほっとけない性格なのか、色々目をかけてもらったのを覚えています。思い返すと、世渡り上手になる訓練を受けたのかなと思います。

 

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高校退学。貯金のため軽い気持ちで漁船に乗った17歳の私。しかし陸では優しかった叔父が豹変「海に落とす」と脅され、地獄の日々へ…

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