母明子は明神亀次・梅野の次女として昭和17年に生まれました。中村高校に進学しましたが病のため進級できず仕方なく学業をあきらめ大阪に出て働きました。
明神亀次は森下武之の向上心と努力する姿勢を買って娘の明子を嫁にやろうと決めたようです。そして森下夫婦は3人の男の子を授かり2番目の息子が私幸次です。
母は専業主婦として一家を守っていましたが特に料理についてはこだわりがあり、インスタント食品や化学調味料は一切使わず明神家に伝わる田舎の漁師町の家庭料理をよく作ってくれました。私の味覚の原点は母の料理だったかもしれません。そして母明子は漁師一家がそうであるように信心深くいつも神仏に手を合わせて拝んでいました。
私の人や自然に対して感謝する気持ちは祖母梅野、母明子から無意識に伝わった気がします。
私にとって森下の祖父母は全く知らないので、おじいちゃんは明神亀次でありおばあちゃんは明神梅野です。特に大きな影響を受けたのは明神梅野でした。
祖父と祖母は力を合わせて明神水産を創業しました。株式会社明神水産の代表取締役社長の明神正一氏は6人兄弟の末っ子であり私の叔父さんです。
私の生き方に大きな影響を与えてくれたのは、祖母の明神梅野です。私は幼い頃から体は小さくて虚弱で小児喘息を長く患ったこともありました。勉強のできた兄と体力のある弟に挟まれてどちらかというと引っ込み思案で積極的に行動するタイプではありませんでした。
そんな私を当時の梅野おばあちゃんは優しくしてくれ、いじめられた時など庇ってくれました。そんなおばあちゃんが私は大好きでした。
漁師は海という人智を超えた大自然を相手の仕事なので、いくら科学が発達しても操業の安全や豊漁を祈り、荒れ狂う自然の前ではただひたすら収まるのを願うばかりの人間の無力さを思い知らされる場面が多々あり、神仏に祈るということが身についています。
梅野おばあちゃんも漁師の嫁なので信心深く特に弘法大師さんの話などは良く聞かされました。四国八十八か所のお参りにも連れて行ってもらっていました。私自身の人としての価値観や哲学はこの仏教の教えが根本にあるのではないかと思います。
私が尊敬する経営者の京セラ創業者の稲盛和夫氏も信心していて、稲盛氏の名言には当時おばあちゃんが私に言っていた言葉と被る言葉が沢山あります。私が事業を経営するようになったからか、余計に梅野おばあちゃんから受けた教えは納得し強くなってきています。〝自分に関わる人が今年も幸せでありますように〟と毎年何か所かの初詣で私は願っています。
子供の頃、上の兄より下の弟とよく遊んだり喧嘩したりしていた記憶があります。弟とは小さい頃から何をするにもいつも一緒でした。小さい頃私は正義のヒーロー物が大好きで、中でもウルトラマンシリーズと仮面ライダーシリーズが大好きでした。
正直、保育園の年長か小学一年生の頃まで自分はウルトラマンに将来なる人間だと純粋に信じていました。
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