新しい生活
仙台での我が家を探していただいたのは、東北大学医学部薬学科衛生化学教室のスタッフの一人、鈴木康男先生である。何度かおふくろも一緒に不動産回りをしたのだろう。同じつくりで、一軒ごとに塀がある、細い路地で区画された四軒の住宅をおふくろは選んだ。
その四軒のうち、隣が大塚さんで、スマイリー小原のようなダンディな若い歯医者さんの卵であった。後に開業し、我が家のホームドクターになる。
その奥様は都会的で新しもの好き、ファッションにうるさい若妻という感じの人だった。息子が一人いて、後にこの子の家庭教師を頼まれることになった。こうして、家族ぐるみの付き合いをするようになった。おふくろは奥様と気が合ったようで、彼女から仙台の生活の仕方を学んだようである。
仙台の道路は、脇道に入ると舗装されておらず、砂利道だった。車もまだ普及しておらず、自転車が主要な移動手段。荷物も前輪のタイヤが太く、ハンドルの前に荷台のある仙台で初めて見る自転車。燃料屋の人が、亜炭をこの自転車で配達してくれた。
家の風呂は、亜炭風呂だった。石炭には慣れていたが、亜炭を見るのも知るのも初めてだった。仙台近郊で採掘される燃料で、石炭になりきっていない燃料ということで取り扱いが難しい。ましてや、その亜炭を湯船の脇についている煙突の湯船より高いところに、亜炭のくべ口から、垂直に亜炭を落とすのである。技がいる。この仕事は私の仕事になった。
当時は自家用車を持っている家庭はそう多くはなく、業務用の自動車が圧倒的に多かった。男は自動車学校に通うが、女性は躊躇するような時代。自動車のセールスマンは、車の普及に力を入れていたのであろうと想像するが、優秀だった自動車セールスマンが、女性に運転を無料で教えるという策を考え、女性への自動車普及を高めようと狙った。
そこでセールスマンは自衛隊の敷地を借りて、石灰で線を引き、自動車練習場をつくったので、おふくろと隣の奥様がこれに通った。クランクや車庫入れ、幅寄せの練習を炎天下で繰り返していたのを記憶している。
おふくろのこの免許取得は、後々親父が脚を切断して、毎日大学への通勤の送り迎えに役立つことになる。おふくろはこの時代に、今でいう「アッシー」として夫に貢献したのだが、それについては後に触れる。
【イチオシ記事】「昨日、あなたの彼氏さんとホテルにお泊りしました」と言って、服を脱ぎ始めた女…「ほら」と体についた証拠を見せられ…
【注目記事】「今日だけ、お願い」——僕には妻がいたが、彼女のことを無我夢中で抱いた。キスをし、胸を吸い…
ゴールドライフオンライン(GLO)は、表現者を応援するウェブメディアです。
生身の人間が紡ぐリアルな言葉だからこそ、読者の心を揺さぶる力があると確信しています。
あなたも、"表現者"になってみませんか?
ゴールドライフオンライン(GLO)編集部:glo_henshu@gentosha.co.jp