「言うまでもなくレオナルドは手を描かせたら右に出る者のいない巧者だった。でもルーヴルのエスキースでは侯爵夫人の手の位置をどうするべきか、決めかねている風だ。
一方あなたの写真の絵にはそういうあやふやさはない。手の動きが自然で、体の動きとマッチしている。ルーヴルのエスキースよりもずっと進化している。レオナルドの偽物だとしたらとてもいい出来だ」
「あなたはこの絵がすでに贋作と決まったかのような言い方をする」と忠司。
「もしこれがレオナルド作だとしたら、世紀の発見だとは言えませんか?」
スーザは笑って言った。
「いや、現実は甘くない。一つの本物の巨匠の絵があるとすると、世界にはその五倍から十倍の贋作が出回っている。もちろん数えきれない写真やリトグラフ、ポスターその他は別としてね……」
「それじゃ『モナーリザ』の贋作も世界中にあるとでも?」
「『モナーリザ』はルーヴルにあるのだけが本物だ」
スーザはきっぱりと断言した。
この絵は一度前世紀に盗まれて長い間フィレンツェのホテルの最上階に隠されていたが、犯人は捕まり、絵は取り戻された。イタリア人の犯人の男の言い草は、“『モナーリザ』がイタリアにないのはけしからん”だった。以来『モナーリザ』はずっとルーヴルにある。
「イザベッラ・デステってどんな人だったんですか?」と真世。
自称美術愛好家は言った。
「イタリア・ルネッサンスきっての才媛です。イザベッラは北イタリアの名門、フェッラーラのエステ家の出身で、マントヴァ侯爵夫人だった。美貌と才知を誇り、美術家のパトロン(パドローナ)を自負していた」
美術商が言葉を引き取って言った。
「私はマントヴァは何度も行っていますが、宮殿は湖の畔に佇んでいて、湖はポー河に注ぎ込んでいる。宮殿内には空中庭園もある」
「空中庭園はイザベッラが死んでから造られた。イザベッラのころはまだ中世の雰囲気の抜けない城だったんじゃないかな」とスーザが言った。
「それを何とか気の利いた宮殿にしたくて、彼女は美術品のコレクションにのめり込んだ。彼女は策謀家で底抜けのケチ、美術家たちのポケットから金品をかすめ取る術に長(た)けていた。『破産してしまう』が口癖でね。
彼女は当時の美術界に幅広い知人、友人を持ち、イタリアきっての美術コレクターだったが、その多くは気のいい画家や彫刻家をうまくおだて上げて、ただで巻き上げたものだった」
「その画家や彫刻家が彼女の愛人だったのなら、値段に見合うプレゼントだったんじゃないの?」と真世が突然口を挟んだ。
試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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