【前回記事を読む】近藤勇は、桂小五郎(後の木戸孝允)がそこにいると分かっていた…それでも長持ちを開けずに去った理由は……
第二章
V・E・フランクルの強制収容所体験から見た「生きる目的」
一 意味への意志
人は何のために生きるのか。生きる目的は何か。ということが人間の根本問題である。この問題の解答に迫られたのが心理学者ヴィクトール・E・フランクルであった(以下フランクル著『夜と霧』を随所に参考しながら考察していく)。
フランクルは、第二次世界大戦中ユダヤ人というだけの理由で、何の罪もないのにナチスの強制収容所・アウシュヴィッツに他の大勢のユダヤ人と共に送られた。
収容所に到着直後フランクルらは一列に並ばされ、一人のドイツ将校によってガス室送りか、労働用かを一人ずつ選別されていった。九十五%はガス室送りとなり五%が労働用として収容される。フランクルは労働用に選別され、実に悲惨な状況下で過酷な強制労働を強いられた。
脱出することも不可能で、飢えと寒さに苦しみ、朝目を覚ますと隣の友が死んでいても彼らは心に小波(さざなみ)一つ立てなかった。このような現象を「感情消滅」というが、極限状態に置かれると、人は自己保存のための必要不可欠なメカニズムとしてこのような状態に陥る。
こうした苦しみだけの状況下では、生きることに絶望する人たちが続出し、高圧電流が流れる収容所の鉄条網を乗り越えようとする「鉄条網病」という自殺が相次いだ。
ナチス・ドイツによって約六百万人以上のユダヤ人が虐殺されたといわれているが、アウシュヴィッツにおいても毎日二千人ずつがガス室で殺され、その死体を片付ける労働に駆り出された。
肉親は殺されてしまい、いつ自分も殺される番になるのか、絶望的な生活が続く残酷な状況の中で、ある日フランクルのもとへ二人の男が訪ねてきた。二人はフランクルに「お前は以前、どんな人生にも意味があると言ったではないか。しかし、今の我々に、もはや人生から何も期待できないから自殺することを相談に来た」と告げた。
この時、フランクルは二人に自殺を思いとどまらせるために言葉の限りを尽くして説得にあたった。結局、二人は自殺を思いとどまるのだが、フランクルが話した内容は、本章の一番重要な部分になるので、わかりやすく説明するためにフランクルの説を分解しながら確認していこうと思う。