「……いろいろあって」
「うん」
「子供の頃から、あまり恵まれてなくて」
「うん」
「家を出た後も、仕事でいろいろあって。それで、しばらく大変だった」
千春は何も言わなかった。ただ、うなずいた。
「……もう大丈夫ですか」と千春が聞いた。
「……だいぶ」
「だいぶ、か」
千春は少し笑った。
「だいぶ、なら十分だよ」
渉はその言葉を聞いて、胸の奥に何かが染みるのを感じた。
「千春さんは、人の話を聞くのが上手ですね」
「福祉の仕事してるからかな。人の話を聞く機会が多くて」
「そういう仕事、向いてると思います」
「ありがとう」と千春は言った。それから少し間を置いて「渉くんも、人の話を聞くの上手だと思うよ」と言った。
渉は驚いた。
「俺が?」
「うん。お客さんの話、ちゃんと聞いてるじゃない。目を見て、うなずいて。あれ、できそうでできないんだよ」
渉は返事をしなかった。でも、少しだけ照れた。照れる、という感覚が、久しぶりだった。
帰り際、千春が「おやすみ」と小さく手を振っていた。渉は2階の部屋に戻り、窓の外を見た。
(千春さんって、不思議な人だな)
そう思いながら、布団に横になった。天井を見た。
いつもは天井を見ると、嫌なことを思い出した。でもその夜は違った。千春の笑顔を思い出した。
(久しぶりに、いい夜だった)
そう思いながら、渉は目を閉じた。
次回更新は9月26日(土)、22時の予定です。
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