渉は「すみません」と頭を下げた。その夜、寮の布団の中で、自分の手のひらをじっと見た。この手は、何をやっても、うまくいかない手なんだろうか、と思った。
それでも、渉はやめなかった。やめたら、行く場所がなかったから。
半年が過ぎる頃、ようやく指名が1人、2人と入るようになった。不器用なりに、渉には1つだけ、できることがあった。客の話を、最後まで、本気で聞くことだった。さびしい人間の顔を、渉はよく知っていた。自分がそうだったから。
初めてまとまったお金が手元に残った日、渉は花屋で白い百合の花束を買った。電車に1時間揺られて、母の墓まで行った。
母の墓の前に膝をついて、花を供えた。
「お母さん、俺、ちゃんと働いてるよ。世の中で、いい仕事じゃないかもしれない。でも、屋根がある場所で、寝られてる。ちゃんと、生きてる」
言いながら、涙が出てきた。墓石に額をつけて、しばらく泣いた。
(お母さん、見守ってて。俺、お母さんみたいに、途中で投げ出さないから)
帰りの電車から、線路沿いの民家の窓に、温かい光が見えた。誰かの家の、夕食の時間だった。
(俺にもいつか、ああいう普通の生活ができたらいいな)
中には、ひどい客もいた。
ある50代の女性は、施術中に「あんた、こんな仕事しかできないの。学もないんでしょ」と笑った。渉は黙って施術を続けた。終わってから、化粧室で、蛇口を全開にして手を洗い続けた。指の皮がふやけても、洗い続けた。
別の客は、施術中に勝手に渉のスマートフォンを盗み見ようとした。渉が咄嗟に「触らないでください」と止めると、客は「感じ悪い」と言って、その日のオプションをすべてキャンセルした。報酬は半分以下になった。店長は事情も聞かず、「お前の態度が悪いんだろう」と、渉だけを責めた。
渉は誰にも、味方をしてもらえなかった。客にも、先輩にも、店長にも。
それでも、屋根があった。明日の食事があった。だから、渉は続けた。続けるしか、なかった。