十年ほど前、記紀の歌謡の解釈が一段落して、私は、古代の三つの一次資料と思われる「古事記・日本書紀・万葉集」の内、残された「万葉集」を読む決心を致しました。

記紀の歌謡は、全て漢字を表音文字として使っていましたので、万葉集も読めるだろうと高をくくっていたのですが、そうは問屋が卸さなかったのです。

確かに万葉集は全て漢字で書かれているのですが、単純に表音文字として漢字を使っているのではなかったのです。

万葉集の漢字(万葉仮名)は、もちろん、表音文字の場合もありますが、それ以外に訓読みや、故事来歴による読みや、頓智のような読みもあり、一筋縄でいくような生やさしいものではありませんでした。

幸い、多くの先人たちが試みた「読み」の例があり、その助けを借りながらの試行錯誤の連続でした。

私は、記紀の歌謡の解釈をした中で、従来解釈に対して、「異論の余地が大きい」ことを認識してしまったために、万葉集も恐らく、従来と異なった解釈も出来るだろうと、不遜にも思っていました。

記紀の歌謡もそうですが、万葉集も、現在残されているのは全て写本です。写本というのは、原本を見ながら、あるいは、他の人の写本を見ながら、書き写してきたものです。

ですから、当然のこととして、写し間違いがあるのです。また読みの加筆や添え書きは、あくまで、写している人の主観によるもので、原詠手(よみて)の意図と同じとは限りません。