【前回の記事を読む】給食袋を忘れて家に引き返すと、玄関にまだ母がいた。「お母さん」と呼んでも、顔を上げず…よく見たら、母の足元に黄色い液が…
1.
学校から帰ってきたのは3時半頃だった。ドアは、まだ閉まっていた。
「お母さん、ただいま」
ノックをした。返事がなかった。渉はドアノブをゆっくり回した。指先が、急に冷たくなっていた。
部屋の中は薄暗かった。ベッドの上に、母が横になっていた。
(寝てる)
そう思った。でも、何かがおかしかった。呼吸をしていない、という感覚が、言葉より先に体に届いた。
「お母さん」
近づいた。母の口の端から、白い泡のようなものがこぼれていた。シーツに、嘔吐の跡が広がっていた。渉はティッシュを掴んで、震える手で母の口元を拭いた。1枚拭いても、また出てくる。
母の手が冷たかった。冷蔵庫の卵を握ったときのような、人間の温度じゃない冷たさだった。枕元に、薬の袋がいくつも並んでいた。全部、中身が空だった。
「お母さん、お母さん、お母さん——」
肩を揺さぶった。母の頭が、力なくぐらりと傾いた。唇の色が、紫がかった色をしていた。
「起きて、起きて、お願いだから起きて——」
渉は母の胸に耳を当てた。学校で習った心臓マッサージを思い出して、両手を重ねて押した。子供の力では、母の胸はびくともしなかった。それでも押した。