【前回の記事を読む】猫が“ぼっとん便所”に落ちてしまい…当時、我が家の傍には小川が流れていて、その小川で便まみれの猫を…
ペットたちとわたしの物語
記憶一
他にも、犠牲猫がいる。富士山から帰って来たその猫かどうかはわからないが、わたしたち子供グループでしでかしてしまったことがある。
帰宅後、わたしたち子供は適当につるんで遊んでいた。多分、わたしが小学校低学年か、より低年齢だった頃、グループの誰かが、一匹の猫のしっぽを彼の家の煤けた天井から紐で縛って吊した。そこは彼の家の水場で、台所と樽桶の湯船があった。
その猫はその時、長く格好良かったしっぽを失ったのだ。
わたしの記憶はそこで、ぶつぶつに途切れてしまっている。
自分も含め「人」に対して非難、叱責している訳ではないが、人間には凄くやさしくきれいな心があると同時に反対の心もある。
特に子供においては時として考えがなく残酷である。
人その人もやさしさと反して、残酷で醜く、救われない部分も併せ持っていると思うのはわたしだけだろうか。
現在でも、人中心の世界は変わらない。 しかしこの地球は、わたしたち「人」オンリーの「すみか」ではない。猫だって犬だってもちろん、他の生き物たちにとっても「すみか」、住居なのだ。
わたしたち人は、けっして彼らの「上」ではない。彼らとまるっきり同じ背丈なのだ。
母なる地球の住人において、わたしたち人と彼らはまさに対等なのだ、とわたしは考えている。