【前回の記事を読む】深夜、外飼いの犬の「悲鳴」が…眉間を斧で割られていた。その時私は熱で布団に籠っていたが、今も生々しくその声が蘇り…

ペットたちとわたしの物語

記憶一

その頃、ほとんどの農家では多分、「ぽっとん便所」だった。その便所に猫が落ちるということが度々あった。その頃、我が家の洗濯は家に沿って流れていた小川で行われていた。小川には頼りなげではあるが、橋がかかっていた。

洗濯ものと同じようにその橋に膝を立て、便まみれのそれらの猫もしばしば洗われていた。わたしはそれを見ていただけだが。その頃の猫たちはそんな出来事も日常として生きていた。

犬と猫とで思い浮かべる出来事は、体の大きさにおいてはるかに劣る猫が大きな犬を一撃でやっつけた事件かもしれない。しっぽがすらりと長くアニメから飛翔したような、そして気の強い猫だった。

どうしてか我が家に飼われた犬たちは強さからは離れていた。まるも含めて、犬はやさしく、お人好しで、おとなしい。ひきかえほとんどの猫たちはしっかり者で、気が強いという印象だった。この犬を負かした猫は雌で三毛だったような気がする。

子供の頃、わたしはおばあちゃんのいる炊事場に多くいた。そこにはへっつい(竈(かまど))があり、鍋がかけられ、燃し木とそのくずを入れる収納庫もあり、そこは結構な広さがあった。燃し木とそのくずが積まれた場所は、ふんわりと暖かい布団のような感触だった。

そこで猫が何匹か子を産んだ。そのことは鮮やかな印象でわたしの中にある。それは今にして思えば、わたしにとって実際的性教育だったのかもしれない。なぜならわたしはお産や子供がどこから誕生するかを人から聞く前に、自然に知っていたからである。

その時の雌猫は二匹だった。一方は老齢で、もう一方は多分初産のような若い猫だった。今時はSNSとかですぐに投稿され、動物たちが自分の産んだ子でない子供を世話する姿とかを画面の向こうではあっても見ることがあるが、わたしは直に、子供の頃まさにそれを見ていた。年かさの猫と初産猫の助け合いを見ていたのである。

おっぱいの出ない年かさの猫の子らに、若い猫が自分の子も他の子も分け隔てなく、その乳を与えて育てていた。二匹の「親」のいるファミリーが、そこにあった。その時見守っていたと思える、広くはわたしたち「人」も、一緒に彼らの「家族」だったと思う。

確かわたしの兄が、その猫たちのくつろいだ姿を一枚のフィルムカメラにおさめていた。その写真は結構な間、我が家に飾られていた。

静岡県富士市でいちご栽培農家をしていた我が家は、当時まだハウス栽培が普及していなかった頃で、高冷地栽培方法を行っていた。高冷地栽培方法とは、自然の立地条件を利用して高冷地などに作物を一時移動し、また、露地に戻すという農作物育成の方法である。

それにより本来のその作物の時期をずらして生産出荷することで、作物の商品価値を高めることが出来る。それを目的とした栽培方法だ。