我が家と周辺のいちご農家は、富士山の二合目にいちごを一時期移動させていた。
本来、動物とは自由で、猫も同じである。彼にとっていちご畑も遊び場だったに違いない。しかし人間たちにとってはそこは生きる糧を得る場だった。
ある猫がいちご畑でいたずらをした。それでその猫をいちごの移動時に一緒に連れて行ってそこに放し、置いてきたことがある。人家のあるあたりということは配慮したらしいが。
わたしも幼い頃、何度か父の運転する耕耘機(こううんき)に繋がれたリヤカーの隅にいちごさんたちとご一緒し、富士山に行ったことがある。
今思うと考えられないような移動手段だった。富士山への凸凹道をガタガタと上りそして下りた(まだ舗装されていなかったのだろう)。
ある時は、雷と激しい雨の中、家族たちはずぶ濡れで家路を急いだこともある。
その高冷地で放したいたずら猫が、富士山からどのようにしてか、さまざまな苦労のすえだろう。その途中には車の激しく行き交う国道も横切らねばならなかっただろうし、もっともっと大変な場所を駆けて、駆けて、来なければならなかったはずなのに、多分何ヶ月もかかって帰ってきたのだ。
あれから歳月を経た今のわたしであれば、この猫に「さま」を感じる。そして手を合わせ手厚く保護し、抱きしめ「よく帰れたね。ごめんね」と詫び、その苦労をねぎらい、そして愛して、ずっと自分の側に置くだろう。
つまりわたしの場合は、年月を経た効果で生き物にやさしくなれたのである。人によってすでに子供の頃からやさしい人もいる。やさしさもそれぞれだと思う。わたしは「幸い」猫捨ての犯罪に関わっていなかった程度の子供だった。その頃のわたしは、もし捨てることを事前に知っていたとしても、
その深刻さはわからなかったと思われる。だから「反対する」の発想はなかっただろう。大人たちにもなかったと思う。「生活でいっぱい」で猫への思いやりはなかったと思う。
次回更新は9月7日(月)、19時の予定です。
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