記憶二

わたしは静岡県で生まれ育ったが、横浜に嫁いでいた叔母の紹介で、叔母の近所に住んでいた主人と縁があって結婚した。そして神奈川県の住人になった。若かったのか、わたしは、家を離れることに何の抵抗もなかった。 嫁いで初めての冬だった。静岡の実家では全く経験しなかった雪に感動した。その雪で庭も生け垣も埋もれた。家の前から広がる銀世界が見られた。次の日の朝も降り続いた雪に、ただ感激した。新しい生活にも慣れ始めていた。

そして三年後、息子を授かった。わたしが子育てで一番重要視していたのは「思いやりある人間に」という点だった。何の根拠もなかったが、そんな人になるには多分、動物の力が必要であるとわたしは思っていた。

息子が幼稚園に入る前だったか、息子と手を繋いで近所を歩いていた時、わたしたちの進行方向を一匹の猫が横切った。それだけで息子は、わたしの手を離して別の道を行こうとした。彼にとってその時、その猫は「怖い」ものだったのだろう。

そんなに猫に怖さを持つ子が、「飼ってほしい」などと言わないに違いないとわたしは思った。今思うとせっかち過ぎる判断だったかもしれないが、それは初めて子供を持った親に共通した「心」だったのだろうと思う。特に息子は一人っ子だったので、その思いはわたしには強かった。わたしはすぐペットを飼った。

わたしはこの年齢になって思うと、子育てについても反省することは多い。

しかし、親とはそういう位置にいるのだろうと思う。どの親御さんも子供に対する愛情はあると思う。しかし、その親、その親で、また、その子、その子で、期待するのとは逆の方向へ行ってしまうというケースはそれ程まれではないと思われる。

人育ては一生ものだ。大変な事業だとわたしは思う。 初めてペットを飼ったのは、白うさぎだった。犬も猫も息子にはハードルが高いと考えたし、無意識ではあったが、わたしの心の中に子供時代の犬や猫への負い目があったのかもしれない。

白うさぎはラビーと名づけた。インコも同じ頃に飼い、ポッチと名づけた。

白うさぎはアイドルの少女のようで、とても可愛らしかった。耳が白の中に薄ピンク、それにまん丸のつぶらな瞳。わたしはすぐに彼女のファンになったようだ。

しかし、白うさぎは飼っていくらも経たない内に、庭に繋いでいた時、近所の猫に殺されてしまった。