【前回の記事を読む】1941年12月8日、日米開戦――だが「日本は必ず負ける」と父たちは確信していた

第1章 終戦後から始まったもうひとつの戦い

〈日米開戦前〉

私の脳裏には昭和十三年(1938年)、宇都宮高農(高等農林学校)における、芦田均氏の講演が焼き付いていた。

「明治維新以来日本は、世界の強国になりました。一部の無知な者たちは、日本が独力で強力になった、と思い込んで、支那事変を拡大しています。

これは正に、日本の存亡に関係する重大事であります。日本は、自分の力だけで独立を保ちえたのでは、ありません。

浦賀には米国、下関には英国、それにオランダ、フランス等が来て、虎視眈々として、日本を植民地にしようとしていました。そして、一国が、日本を領有することは、その他の国々が許さなかったのです。

いわば、日本は列国の勢力争いの渦中にあったので、辛うじて独立を保つことができたと言えます。

そうするうちに支那が、強国になってきた。そこで日本を支援して、支那を叩かせた。これが、日清戦争です。次にロシアが東洋に勢力を、伸ばしてきた。

そこで再び日本を後援してロシアを叩かせた。これが、日露戦争です。

図に乗った日本が、東洋で暴れだしたので、列強は、今度は日本をつぶそうとしています。

世界列強は、東洋に強国の出現することを好まないのです。

日本が、世界中を敵に回すことは、危険です。次代を背負って立つべき皆さん、考えてください…」

芦田氏は、大声は発しなかった。目に涙が光っていた。

私は感銘した。そして小学校、中学校で教科書に出てきた歴史は皆、嘘である、真の歴史を今初めて教わったのだ、と感じた。

その時以来、私は支那事変に対して、批判的な考え方が芽生えてきたように思った。