それは『日本書紀』もまた、『古事記』同様に、「正實に違い、多く虚偽を加」えている可能性が否定できないからである。

そしてそれは前述した「古事記神話」によって、枷(かせ)をはめられた結果ではないかと推測されるのだ。

例えば『日本書紀』「神代紀」は、「天地が初めて判れたときに生じた神」について多くの神の名を紹介しているが、「高天原とそこに生まれた神の名」について記述しているのは一書(第四)だけなのである。

ところが天照大神(アマテラスオオミカミ)が誕生し高天原に送られた後には、その後の天上界の記事は高天原世界一色に染まってくるのである。またアマテラスオオミカミの神名である。

同じく「神代紀」第五段では、

「伊奘諾尊(いざなきのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)、共(とも)に議(はか)りて曰(のたま)はく、」として

「是(ここ)に、共に日の神(かみ)を生みまつります。大日孁貴(おほひるめのむち)と号(まう)す。」と記している。

ところがその直後に分注で、

「一書に云はく、天照大神(あまてらすおほみかみ)といふ。一書に云はく、天照大日孁尊(あまてらすおほひるめのみこと)といふ。」と追記しているのである。

なぜなのであろうか。