【前回の記事を読む】カットモデルになると、美容師が「かわいいねぇ」を連発。「美味しいものをご馳走したい」と言われ、半ば強引に約束させられた。

第二章 自立 

しかし二カ月もしないうちに、綿密に考えたはずのスケジュールは予定通りには行かなくなった。一学期の初夏のある日。二時限目で学校をサボって抜け出した私は、予定通りに急いでカフェテラス「花」へ向かおうと、東横線の大きな長い階段を走って下りていた。

階段もあと五〜六段を残すところで、いつものように「コロンバン」のパンが焼けるいい匂いがして「お腹すいたなぁ」って思った途端、目の前が真っ暗になり階段を何段か転げ落ちてしまった。意識を失った私はそのまま救急車で運ばれた、と後から聞かされて知ったけれど、全く記憶にございません。

〈スカートとか、めくれていなかったかしら。あぁ恥ずかしい。自立した生活ってホント大変よねぇ〉

病院では医師や看護師が、栄養失調に過労という、好景気になり始めた昭和の女子高生らしからぬ状態をおかしいと感じたようだった。持っていた学生証から高校へ連絡が入り、病院には担任のトミサトが現れた。両親に連絡がつかないので一晩入院した病院代もトミサトが払ってくれた。 

「大丈夫なのか? お前の家。ご両親に連絡が取れないぞ。どうなっているのか話をしてくれる気はあるか?」

アパートで一人暮らしをしていることはトミサトに言えなかった。ダンマリを決め込んでいると先生はあきらめて、「学校、できるだけ来いよ。無理するなよ」と言い、固辞する私に「いいから」と無理矢理一万円を握らせて、その日は帰してくれた。

泣けてきた。どうやら作戦は変更しなければならない。こんな生活、来年の三月までなんてとても続けられそうにない。

でも、父さんが少年時代に勉強したくても学校に行かせてもらえなかったことが頭をよぎって、学校を途中で辞めることなどできないと思った。