【前回の記事を読む】15歳で奉公に出た父は、そこの一人息子から酷い嫌がらせを受けていた。ある朝、奴は一線を越えた。日本刀を手に、父の部屋へ…

第三章 なれそめ

二年間の自衛隊生活では夜間高校へ通いながら大学を受験できる高卒の資格を取った。冬は登校時こそ自転車で走れるが、帰りは雪が積もって自転車を担いで帰らなければならず、体力的にも精神的にも限界を感じながら〈必ず東京へ行って大学に通う〉とひたすら自分に言い聞かせて耐え抜いたという。

わずかな給料を無駄遣いせずにコツコツと貯め続けて、ついに大学の学費をつくることができた。そして春の訪れとともに晴れて東京へと旅立つことができた。父さんは東京外国語大学で勉強して外交官になる夢を抱いていたのだ。

あてもなく上京した東京では、まずは新宿の飲み屋で友達になった人のアパートへ転がり込んだ。自衛隊で取った大型自動車の免許が役に立ち、仕事もトラックの運転手をして働くことができた。だが、アパートに住まわせてくれた友達が悪かった。父さんはその友達に学費を盗まれて全部使われてしまったのだ。お金は戻らなかった。

「いいか? 一宿一飯の恩義を忘れるな。だから俺はあいつが金を盗んで使ってしまっても許してやることにしたんだ。東京へ来たばかりの俺を長いこと家に泊めてくれたんだからさ」

父さんはそう言いながらもどこか悲しそうだった。

しかし憧れの外交官への道となる東京外大進学はあきらめざるを得なかった。仕方なく昼間はトラックの運転手をしながらでも通える夜間の法政大学法学部へ二十二歳で入学した。そして、大学四年の夏に母さんと出会ったのだ──。

母さんは中学を出て理容学校を卒業すると、香川県琴平町の散髪屋で働いていた。

一度は神戸で就職をしたが、すぐに故郷恋しさで香川へ戻ってきてしまい、実家から隣町の琴平の理髪店で住み込みの下宿生活をしていた。

父さんは大学に通いながら徳島の実家に残る六人の兄弟たちのために、毎月の仕送りを続けていた。

大学四年の夏休み。父さんは仕送りを持って徳島へ里帰りをしてから、香川へ金毘羅(こんぴら)詣りに出かけた。神社を参拝する前にさっぱりとヒゲを剃りたくなって、たまたま母さんの勤める散髪屋に立ち寄ったのだ。これが我々一家の始まりとなった。父さんはヒゲを剃ってくれた母さんにひと目惚れした。

それからというもの父さんは毎週末になると雑誌や土産などを持参しては、母さんにヒゲを剃ってもらいに東京から琴平まで何カ月も通ったという。この頃から父さんは営業の素養があったようだ。