プロローグ 帰国

平成と名を変えた最初の年の暮れ、二十三歳の私は二年ぶりに成田空港へ戻ってきた。

お金も持たず住むあてもなく仕事もない。そのうえ知り合いもおらず言葉も話せないのに、初めての海外渡航先であるカナダ・バンクーバーで二年間暮らして、無事に日本へ帰ってこられたのは本当に幸運だった。

京成電車に乗り込み座席に腰を下ろすと、帰ってきたことを実感させる懐かしい風景が窓の外に流れ始めた。稲作の田んぼに建て売りの家々。景色は何も変わっていないように見える。〈けれど人間関係はいろいろと変わったのだろうなぁ〉。

出発の時に見送ってくれた友人たちはすっかり大学を卒業して社会で頑張っていることだろう。私には友達がいても家族はいない。帰る家もない。母さんの所へ顔を見せに一旦立ち寄るけれど、住む部屋はこれから探さなければならない。

旅の疲れを感じて目を閉じると、カナダでの二年間がよみがえってきた。思えば波乱ずくめの長い旅だった。

最初のピンチは出発の三日前、渡航用に貯めた五十万円をそっくり盗られてしまったことだった。誰にも言えずに片道だけの航空券を握りしめて、所持金わずか三千円で機内に乗り込んだ。到着したバンクーバーの空港で、ダウンタウンまでのバス代すら持っていなかった私は、物乞いのおじさんの真似をして、どうにか三十ドルを手に入れた。

それからいろいろな物を売った。ダウンタウンでは美術館の前で漢字を書いたTシャツを売り、ウィスラーのスキー場ではサーモンのおにぎりと漬物を作って売った。ロッキー山脈では杉の植林もした。メリットという村へ取りに行った松茸を、袋いっぱいに詰めてチャイナタウンへ卸売りにも出かけた(そのキノコで食中毒になって死にかけたけど)。

ワーキングビザが取れると、日本食やカナディアン・レストランでウエートレスをしながら、観光客相手のツアーガイドもやった。ビザの期限が来て、ようやく帰国の途についたのだが、どれもこれも行き当たりばったり、思いつきと勢いだけで商売を始めたが、不思議とどうにかなった。それは幼い頃から父さんに教わった商魂が助けてくれたからだろう──。